増税、還元、キャッシュレス。 そして明日は、ホープレス。

長編小説を載せました。(読みやすく)

刺激のない日々は、神聖なる甲虫・スカラベ

   先週の土曜日の午後5時過ぎ。

私は仕事を終え、駅前にあるドンキに入店。

特に目的もなく徘徊し、店頭の置かれた58円のコアラのマーチを買うか買わないかで迷った挙句、レジ前の長蛇の列にうんざりして何も買わずに店を出た。

コアラのマーチとは限らないが、だいたいお菓子を買おうか迷って店を出るのが常習化している。

この日も刺激のない日々の連続記録を更新した。

 

 いつもの様に電車に乗り、自宅最寄り駅で下車。

人気のない部屋に戻る事を躊躇い、私はこれまた習慣化しているコンビニに目的もなく立ち寄ろうと、入口手前の階段に足を向ける。

 

 5,6歳の男の子とその妹だろうか3、4歳の妹らしき女の子と二人で階段の脇に座っていた。

私は二人を避けながら入店。

ドンキで甘いものを買いそびれたから、シュークリームでも買おうと思いつつも、

ここでもレジが混んでいたから商品を戻し店を出た。 

 

 目的を放棄した私は気だるく女の子を避けて階段を下りる。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ」

女の子が呼びかけている声が聞こえ、向けられた方に目を向けた。

少し離れたところで、男の子は木の枝で地面をほじるのに夢中の御様子。

「お兄ちゃん、この虫なんて言うの?」と女の子は再度呼びかける。

男の子は妹の呼びかけに見向きもせず、ひたすら地面をほじくる。

 

 私は暗くなってきた空を見上げ、一日の終わりの無常に溜息を漏らす。

「カワイイよっ。お兄ちゃん、この虫なんていうの?」

兄に相手にされない女の子は、渾身の声をふり絞った。

「このカワイイ虫っ!なんていうのーぉ?」

日々の生活に大した刺激もない私の耳をつんざき、否応なく振り向かされた。

 

 女の子が手元の虫を撫でようとしているが薄暗い中で良くわからない。

目を細め凝視した途端、私は目を剥いた。

全身に低周波電気が駆け巡る様な悪寒と戦慄が駆け巡る。

 

 うわ~っ、それはごきぶりっていうんだ~ぁ。おえーっ、触るんじゃないっ!

 

私は止めに入ろうと思ったが、見ず知らずの女の子に声をかけるのも気が引け、カワイイという感情が理解できずにゾクゾクと体が震えて暗い空に顔を上げた。

勘弁してくれよ~っ、見ちゃったよ・・・。

 

 私の脇をすり抜け兄が妹の元に駆け寄った。

「見て、カワイイよ」

「カナブンかなぁ?カナブンはもっと丸いよなぁ・・・」

 

 今にもごきぶりの背中を撫でようとしている妹に、私ははっきりと言いたかった。

よせっ、それはゴキブリという虫だと。

しかし、カワイイと思っている兄妹の純粋な感情を踏みにじる権利もないと思い、私は鳥肌を摩り震えながら自宅を目指した。

中越しに最後に聞こえた声は、「家に持って帰ろうよ」と愛くるしく兄に呼びかける妹の声だった。

 

 自宅に帰った私は、ふとごきぶりが気持ち悪いと思う感情は、もっと大きくなってから植え付けられた感情なのかもしれないと考えた。

 

 家族や周囲の人がごきぶりを見た瞬間、悲鳴を上げ、殺意を露わに殺虫剤や新聞紙を丸めて戦闘態勢に突入し退治してきた。

そんな場面を多く目にしてきた事から、ゴキブリを見たら殺すものという既成概念が形成されたのではないか?

 

 一方、同じ虫でも「スカラベ」という虫は、古代エジプトにおいて太陽神と同一視され、壁画にも数多く描かれ、神の様に崇められていた神聖な甲虫。

しかし、日本では只の糞を転がすフンコロガシでしかない。

 

 物や価値観は、時代と場所が変われば、そのあり方も変化する。

よくよく考えてみれば、ゴキブリが我々になにをしたというのか?

ヘビの様に噛みつかれた事もなければ、ムカデやハチの様に刺された事もない。

西アフリカではゴキブリを食べる風習もあるという。

 

 子供が純粋と言われるのは、世間の常識や既成概念が入り込んでいない事によって、良くも悪くも思うがまま、感じるがまま振る舞えるのだろう。

私も3歳の時があったのに、当時、ゴキブリの存在についてどうとらえていたのか鮮明に思い出せない。

 

 そして、現在の私は何の刺激もない日々を過ごしている。

これまた見方を変えれば、日々平安という良き事なのに、テレビなどの情報や世間体に振り回されているということだろう。

生死に瀕した状況では、毎日が刺激だらけで息も吐けない。

隣近所や知人が裕福だろうが幸福と感じようが、他人と比べたって仕方がないのに、あたかもそうでなければならないような風潮に飲み込まれると厄介だ。

自分が思う事にまで、自身の頭の中で間違っているんじゃないかと語り掛けてくるからだ。

 

 昔、親はこんな事を言っていた。

「人は人、うちはうちの事情がある」

続けて、

「文句言う他所様は口を出しても何もしない。助ける人は何も言わずに手を差し伸べるんだから、あんたはあんたのすべき事をしな」と。

 

 明日、何の予定がなくても、誰に迷惑かけている訳でもないのだからいいじゃないか・・・。

分かっていても刺激を求めてしまう、もう一つの私の感情がある。

そんな感情がよぎった時は、情報を遮断して散歩に出よう。

傘は持たないで。

 

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                                   (終)