【 死に場所 】place of death ..last stage 全34節 【第2部】(34)最終節 読み時間 約10分
(34)最終節
仙蔵とおさよは、一年ぶりに二人きりになると、募る話さることながら、たった一日しか一緒におらずどうしたらよいのか纏まらない。
仙蔵はの切欠がつかめず「荷物が重そうですから、どれか持ちますよ」と振り返った。
「それほど重い物ではありませんから、お気遣いなく・・・」
「遠慮なんてしないで。三日後には共に伊勢に参るんですから、さあっ」
「共に参るのですから、わたしはわたしの荷を持って行かねばなりません。仙蔵さんの足手まといになりたくありません」
「足手まといなんて思いませんよ。そう意地を張らずに。おいらは身軽だから分けて歩けばいいじゃないですか。長屋まで一時はかかりますよ」
「意地なんて張ってません・・・」
おさよはちらりと仙蔵を見た後、遠く先に目を向けて歩き進める。
坂を上り、御茶ノ水に出た所で、おさよが仙蔵に声をかける。
「卯之吉さんたちとお寄りなった、お茶屋さんってどこです?」
「それなら、もうすぐ行ったところですよ」
「寄っても宜しいですか?」
微笑むおさよに、仙蔵は「疲れましたか?」と問い返す。
「江戸に参ります道中で、卯之吉さんは色々とお世話を焼いてくれましたので・・・」
仙蔵は、まあいいかと先導し茶屋を目指す。
「あの茶屋です」
おさよは手鏡を帯の間から取り出すと、身なりを整えて茶屋に入った。
来る時に立ち寄った慎ましい女給が、仙蔵を見て微笑んだ。
「先程のお客さんですよね?」
「はい・・・」
おさよは女給に声をかけると、二人で外へ出て行く。
仙蔵は店の中に取り残され、茶を啜って待つしかない。
しばらくすると、おさよと女給がけらけらと笑って戻ってきた。
仙蔵はなんだか仲睦ましい様子が気になる。
おさよが仙蔵の隣に腰掛けた。
「何を話していたんですか?」
仙蔵は横顔を覗く。
「お茶屋の女給同士の話です・・・」
おさよは詳しいことを教えない。
「茶屋の女給というだけで、そんなに盛り上がるんですか?」
「女子同士の話です。仙蔵さんには分かりません・・・」
仙蔵は恐らく卯之吉に関する事だとは分かるが、それ以上は聞けず悶々として茶を啜る。
すると、女給がおさよの元にやってきて、「さっきのお礼です。よかったら、これ飲んで下さい」と甘酒を二つ出してきた。
おさよはうれしそうに微笑む。
「ありがとう~っ」
仙蔵は何が何だか分からず、「お礼って何です?」とおさよに聞く。
「仙蔵饅頭をお分けしたんです」
「饅頭だけで、あの女給さんはあんなに嬉しそうにしているんですか?」
「仙蔵さん、それ以上聞くと野暮って言われますよ」
「なんですか、野暮って・・・」
「女子の話に余り首を突っ込むもんじゃありません」
おさよはすました顔して甘酒を啜る。
なんだよ・・・
仙蔵がちらりとおさよに目をやると、女給と微笑み合っている。
仙蔵は甘酒を飲もうとするも熱くてなかなか飲めず、こっらにも悶々とする。
おさよもおさよで、仙蔵にほとんど顔も向けない。
ちらりと目が合うとすっと逸らしてしまう。
しばらく会話もなく、仙蔵は溜まらず口を開く。
「卯之吉さんの、」
「仙蔵さん、くどいですよ。女子の話です・・・」
おさよはすっぱりと仙蔵の言葉をさえぎった。
「今度はくどいって・・・分かりました、もう聞きませんよっ」
仙蔵は拗ねて立ち上がる。
「暗くなってもなんですから、そろそろ行きましょう」
おさよもすっと立ち上がり、女給に頭を下げると表まで見送って手を振っていた。
仙蔵は気にしてないと「何を話したかなんて聞きませんよ。でも、卯之吉さんを笑い者にする事は止めてくださいね」とおさよに釘を刺した。
「飛び上がって喜ぶんじゃないでしょうか」
おさよは仙蔵を追い越し、先に歩みを進めた。
負けてなるものかと、仙蔵はおさよを追い越し「案外、おさよさんは強情ですね」と少し意地悪く微笑んでみせた。
「意思が強いと仰って下さい。仙蔵さんを信じて待っていたんですから・・・」
おさよの真剣な眼差しに仙蔵の笑みは消え、足並みが遅れた。
「ああっ・・・」
〈 江戸名所図絵 御茶ノ水 〉
おさよは往来に背を向け、橋の袂足で立ち止まる。
神田上水を覗くように俯き涙を拭く。
「どれだけ心配したか・・・本当にご無事で良かった」
仙蔵はおさよの背中に頭を下げる。
「本当にすみませんでした。でも、ああするしか・・・」
おさよは言葉を遮り、堪えていた気持ちを涙声で打ち明けた。
「年が明けたら来ると仰って、春には桜を見ようとまで約束していたのに、急に信州に婿へ行くなんて事、誰が信じますか。きっとわたしが嫌いになることをしたんだと思いました。おきつさんを問い詰めても、そうじゃないと首を振るばかりだったから、騒動の影響で捕まったんじゃないか。それとも、首謀者のお方の様に逃げなければならない事情があったんじゃないかと、ずっと心痛めておりました。お饅頭だって、噂が仙蔵さんの耳に届けばと作り続けていたら、名主に閉じ込められていただなんて。白沢様から聞かされてから、居ても立ってもおれませんでしたっ」
おさよは震える手で小さな手拭を顔を覆う。
「本当に心配で心配で・・・」
おさよは力が抜け、しゃがみ込む。
仙蔵もしゃがみ、懐から初めて会った時にもらった若竹色の巾着を取り出す。
「これ、肌身離さす持っていました。少し汚れてしまいましたが」
おさよはちらりと自分がこしらえた巾着を見ると、再び手ぬぐいに顔をうずめた。
「でしたら、また新しいのを作って差し上げます・・・」
仙蔵は周囲の目を気にして「今度はどこへ行くにも一緒ですから。さあ」とおさよに呼びかけ、手を差し出す。
おさよは涙を拭い、泣き濡れた眼差しを仙蔵に向け、力なく手を伸ばす。
仙蔵はおさよの手をしっかりと握り、共に立ち上がる。
「おさよさんのお陰です。あの饅頭を作っていなければ、こうして再会できなかったんです。今度はおいらが支える番です。心配かけた分、うんと頼ってください。早速、荷物を」
「じゃあ・・・」
おさよは恥ずかしそうに荷物を仙蔵に渡す。
「うん?意外と重い・・・」
「やっぱり持ちます」
仙蔵は荷物を背負うと、おさよに微笑んだ。
「これでいい。さっ、参りましょう」
「はい」
三日後の天保八年十二月二十一日。
天気は良く、朝五つ(午前八時頃)に仙蔵とおさよは、長屋の大家・忠兵衛にお伊勢参りの挨拶をして出立する。
仙蔵は、近山左衛門尉から礼金、餞別を合わせて二十両。近山の家臣から一両、代官所の岡田より一両、故郷の松次郎から一両等、合わせて二十七両程を携えていた。
旅装束の二人が北町奉行所に到着したのは朝四つ(午前十時頃)。
訴訟人やらが詰め掛け、門前付近は人が並んでいた。
仙蔵は門番に、信一郎を呼んでもらう。
正平、卯之吉、考助、伝造の四人がぞろぞろと姿を見せた。
「おうっ、仙蔵。それにおさよさんっ」
正平が手を上げて旅の門出を祝おうと声をかけた。
「その節は、大変有難うございました」
おさよも仙蔵に続いて礼を述べる。
卯之吉は、おさよの顔を見ると頬を赤らめ「おっ、おう・・・」と手を上げた。
「あの~っ・・・」
卯之吉はおさよに近づき、もみ上げの辺りをぼりぼりと掻いて目を逸らす。
「お七に、おらの事を褒めてくれたんだってね・・・」
「お七って誰?」
仙蔵は、おさよと卯之吉の双方に目を向けると、正平が「御茶ノ水の茶屋の女給だよ」と冷やかす様な笑みを浮かべた。
「あの女中さんが、お七さん・・・褒めたんですか?」
仙蔵がおさよの顔を覗くと「道中の荷物を持ってくれたり、新しい草履を用意してくれたりとお気遣い頂いたことを申し上げたまでです」と卯之吉に微笑んだ。
「良かったな」
正平が卯之吉の背中をどんと叩くと、「痛てっ」と言いながらもへらへらと照れている。
後から、信一郎が現れ、でれでれと体を揺らす卯之吉を見つけた。
「お前はワカメかっ、気持ち悪りい。おう、仙蔵におさよ」
「これはこれは、白沢様っ」
二人は改めて頭を下げる。
「卯之吉・・・またあの女の事を考えてやんのかっ。しゃきっとしろ」
仙蔵は、信一郎らに今一度頭を下げた。
「これより、御伊勢に御蔭詣りに行って参ります・・・」
信一郎は大きく頷くと、懐から紙包みを取り出した。
「餞別だ・・・大した額は入ってねえが」
仙蔵は信一郎から両手で受取り、「確かにお預かり致しました」と頭を垂れる。
正平たちも後に続き、「これは、おいら達四人からだ」と紙包みを渡す。
信一郎は最後に書状を手渡す。
「近山様からこれを持って行く様にと。近山様の直々の御伊勢の代参通行手形だ。関所でこれを見せれば問題なく通過できる」
「何から何までありがとうございます。皆様に代わって御参りしてまいりますっ」
「皆様に代わって御参りしてまいりますっ」
仙蔵とおさよは、深く一礼をする。
旅立ちの時。
仙蔵とおさよ。そして、信一郎らが見つめ合う中で、正平が進み出た。
「江戸に帰ってきたら、見せたいものがある」
「なんです?」
「芝居だ・・・。お前さんを見ていたら、なんだかもう一度やってみようかって気になったんだ」
仙蔵は喜んで正平に歩み寄る。
「この前、四谷追分稲荷に行った時、正平さんの舞台練習を思い出していたんですっ。良かったですね」
正平は首を傾げ、自信はなさそうだが望みに賭ける眼差しを仙蔵に向ける。
「ちょいとした脇役だけど、やってみるさ」
信一郎は、仙蔵の肩に手を乗せ弾ませた。
「よしっ、御伊勢詣りの門出だっ。仙蔵、おさよ。二人でゆっくりと考えるがいいさ。故郷に戻るも良し、江戸で暮らすも良しだ。死に場所なんざ考えてもしょうがねえ。世の中は理不尽だ、良くも悪くも偶然の積み重ね。だったら、したい事に賭けたらいいさ。道中、困った事があったら、きっと番屋でも役所でも医者でもいいから助けを求めるんだぞ」
「はい・・・では、行って参りますっ」
仙蔵とおさよは、信一郎らに大きく手を振って、伊勢に旅出つ。
白沢信一郎は、大きく手を振る。
「ありがとな~っ、おいらも崖が、死に場所なんて考げえねからよっ」
〈 伊勢参宮略図 〉
(終)
(参考文献)
- 近世都市江戸の構造 竹内誠〔編〕株式会社三省堂
- 幕末江戸社会の研究 南和男 著 株式会社吉川弘文館
- 江戸のうつりかわり 芳賀登 編
- 都市紀要二 市中取締沿革 東京都
- 江戸衣装図鑑 菊池ひと美 東京堂出版
- 十返舎一九の甲州道中記 校注者 鶴岡節雄
- 大江戸世相夜話 藤田覚 中公新書
- 江戸の情報屋 幕末庶民史の側面 吉原健一郎 NHKブックス
- 貧農史観を見直す 佐藤常雄 講談社現代新書
- 死者のはたらきと江戸時代 遺訓・家訓・辞世 深谷克己著
- 地図で見る新宿の移り変わり 淀橋・大久保編
- 廣重甲州道中記 安藤広重
- 〔図説〕江戸町奉行所事典 笹間良彦著
(参考website)
藤村潤一郎氏 論文
〇 近世の巡礼者たち-往来手形と身分―
内田九州男氏 論文
〇 国立国会図書館デジタルライブラリー
東京市史稿 市街扁38
〇 東京市史稿 救済扁3
〇 国学院大學メディア 手厚い“更正”施設
松平定信の「人足寄場」
法学部教授 高塩博氏
〇 小石川療養所の絵図を中心とした建築的
史料の検討と復元的考察
福濱嘉宏氏 論文
(あとがき)
この小説を書こうと思った切欠は、今年2019年2月のことでした。
著者自身、理不尽(悪い意味での)な環境と薄給により、今後の生活が立ち行かない危機感から会社を退職し、ハローワークへ通っていた時期でした。
人間は得てして、不安な時期が続くと焦り、金銭、精神的に追い詰められてしまいます。
まず、過去の嫌な事を思い出す事が多くなります。そして、また同じような事が起こるのではないか?
辛い状況が続くのかと。
すると、とりとめもなく、未来が絶望的に思えてきます。
とりあえず、アルバイトで食いつないでも生活は苦しいまま。
人生に意味はあるのか?とさえ考えてしまいます。
親族、友人等に申し訳ないという負い目・・・。
そして、3月4月になると、自殺が多く取り上げられる時期となります。
増加傾向になる理由は、環境の変化に対するもの。または、気候の変化等とも言われておりますが、これはあくまでも統計的な傾向であって、全ての人に合致しません。
人間は動物と違い、もっと複雑な生活環境であり、個々人の抱える問題は千差万別で一くくりされるほど単純ではありません。
事例として類似することはあっても、育った環境が違うだけでも同一視することは危険な事です。
人間は、母体で合成された瞬間から、理不尽と不条理が始まります。
(正確に言えば、その親となる男女の出会いから始まっており、望もうが望まなかろうが、生命が合成された時)
その後、赤ちゃんとなり、世界(社会)に無作為またはランダムに母体から放出されます。
良くも悪くも、生れ落ちた環境、遺伝子によって、性格、思考が形成されます。
そして、現状から未来を予測する傾向により、その後の人生に大きな影響を及ぼします。
著者は、良くも悪くも、この理不尽で不条理な現状に対し、やみくもに「頑張る」とか反対に「どうせ無理だ」という憶測、または現状における慣性的予測傾向からの呪縛を自ら解放したくてなりませんでした。
その結論が、人生は理不尽で不条理である一方、その逆も然り。幸運をありうる。
そして、偶然の瞬間の連続、その一瞬の積み重ねが築いてきた不確かな世界において、
人間は意識しようがしまいが、死への不安の中に漂う感覚は、本能として刻み込まれています。
暗闇を歩く中で、人の声が聞こえれば、誰それかまわず安息を求めて導かれるように、富める者、瀕する者も、今現在の瞬間であって、永続的なものではなく、先の見えぬ不安に苛まれています。
不遇の瞬間の連続的傾向を断ち切ろうと思い立った時から、新たな遇然が発生する可能性があります。
丁か半か、どちらの目が出るかは分からないが、さいころは振り続けねばならない。
また、この世は、パチンコ玉の様に、どこにぶつかって、どの玉とぶつかって、どこに入るか分からない。
(パチンコ台の操作、いかさまをしていない状態を想定しております。※尚、パチンコを推奨している訳ではありません)
理不尽で不条理な、偶然の積み重ねの世界において、誰でも辛い事に遭遇します。
辛い時、助けを求める事は、なんら恥ずかしい事ではありません。
時期が悪ければ、熊が冬眠するが如く伏すれば良く、一つの場所が駄目なら、また別の場所、人を探すしかないのでしょう。
著者自身、精神的な危機を経験し、その実証的見地から申し上げます。
小林一茶は辞世の句で、「たらいから、たらいにうつる、ちんぷんかんぷん」と詠んでおります。
この句の意味をご存知の方は多いと思いますが、赤子を清める産湯のたらいで生を始め、遺骸を清める湯灌(ゆかん)のたらいで生を終える。
2つのたらいの間に自分の一生があったのだが、よく分からない。と詠っております。
「死者のはたらきと江戸時代」深谷克己 著
小林一茶の人生は、実に浮き沈みの激しい人生であったことが窺える句であると存じます。
最後に、誰かが有頂天になっている姿を目にし、
「なんであの野郎がっ!あの女がっ!」と憤りの感情が湧き上がった時、世界は理不尽、不条理である事を怒りという感情をもって認識することになります。
「世界は理不尽(道理が通らぬ状況)で、不条理(ランダム、無作為)な状況にある。
つまり、好転の可能性は誰にでもあり、世が滅茶苦茶であればあるほど、自らにもチャンスがある」
そして、辛い時は、恥ずかしがらずに助けを求める。
人間は、誰もが死への不安に晒されています。
必然的に相互扶助をしなければならないのですから、助ける側の人間もいつ助けられる立場に変化するか分かりません。
ですから、互いに持ちつ持たれつ、支え合っているのでしょう。
※ 多勢に無勢。もしくは、孤立無援である時、
その場からすぐに撤退し、冷静になってから
態勢を整えて下さい。
尚、一人で数人、もしくは組織からの迫害、集団暴行(いじめ)等に立ち向かえる方は、この限りではありません。
◎ まずは、公的機関もしくは、医師に相談
されることをお勧めいたします。
全く見知らぬ他人に助けを求める前に。
最後まで、御拝読頂きありがとうございます。
もし、何かのヒントになりえましたら、木戸銭としてamazonの同名小説「死に場所」をお買い上げ頂けますと私も助かります。
また、現在大変な状況にある方は、いつか落ち着いた時でもかまいません。
そこだけが世界の全てではありません。
私は、現在の延長で未来を予測しないよう心がけております。
コメント等を頂けますと、私も元気になり嬉しく存じます。
紺野 総二
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