増税、還元、キャッシュレス。 そして明日は、ホープレス。

長編小説を載せました。(読みやすく)

【 死に場所 】place of death 〜unreasonable & absurdly world 〜 全34節【第一部】(1)~(2)読み時間 約10分

     

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  ※ 本作は、1867年大政奉還の30年前である、

天保8年(1837)暮れの天保の大飢饉を舞台としております。

 

 著者の経験等から、理不尽、不条理の世界において、今後、どう生きるかを検証することを前提とした小説でございます。


 文中に説教がましい表現等がございますが、著者自身に対する自問自答と捉えて下さい。

また、作中の登場人物及び場所等は、歴史検証が困難な箇所があるため架空と致します。
     

  お読み頂き、何かの切欠になりましたら、

木戸銭としてamazonの同名小説「死に場所」をお買い上げ頂けますと、嬉しく存じます。

     

 尚、今、大変な状況にある方は、落ち着いた時で構いません。

   

 

    その場所、その瞬間だけが、

   永続する世界ではありません。

  

   激動の時代に入った時、

  世界は新秩序を求め動かざるを得ません。

  明治維新が到来した様に・・・

    

 

                                                                           

                                                    紺野 総二

 

 「 たらいから  たらいにうつる  

                               ちんぷんかんぷん  」

 

          小林一茶 時世の句 文政十年(1827)

 

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    (序)

 江戸四宿の一つである内藤新宿は、甲州道中(街道)と青梅街道が交差する宿場。
旅籠屋五十二件の他に引手茶屋、水茶屋は六十二件。(文化三年 1806)

その数は旅籠屋を上回った。
 周知の事、引手茶屋は岡場所であり、そこで働く娼婦を飯盛り女とも呼ぶ。
亡くなった娼婦らは、十代後半から二十代前半の者がほとんどで、身寄りがなければ成覚寺などに投げ込まれ、無縁仏として葬られた。      

 (元冶元年(1864)子供供養碑を建立)

 

  おおよそ天保三年から九年頃(1832~1838)まで、世に知られる天保の大飢饉で、天災と人災が重なり飢えや病等で死者が続出、墓場が足りぬほどの世相となる。
 天保八年七月。見るに見かねた宿内の富商らの呼びかけにより、成覚寺内に無縁塔を建立。
 また、内藤新宿の北側の外れを流れる玉川上水脇には、旭地蔵が無縁仏や男女、親子らの心中者を弔い続けている。

(明治十七年(1884)七月、成覚寺に移設)
   他の三宿同様、内藤新宿は多彩な 百姓(ひゃくせい=庶民)が行き交い、その繁栄は、新宿として現代に至る。

 

       (1)

   天保八年(1837)十一月十六日、夕暮れの内藤新宿

近頃、この道を往来する人々を見込んで、四谷大木戸の手前付近で、蕎麦の屋台が現れる様になった。
 底冷えする晩秋。
背を丸め、忙しなく人馬が行き交う大道。その中に、一人気だるそうな細面の三十がらみの浪士風情の男が通りかかる。
顎を上げ、冷々たる眼差しは、己も江戸に住みながら蚊帳の外から眺めているよう。
 つむじ風が枯葉を巻き上げ、雲に覆われた寒空に陽は見えない。
地上に視線を戻すと、仄かに湯煙が立ち上る屋台の蕎麦屋が目に留まる。
男は立ち止まり、袂の中に腕を入れた。己の肌の暖かさを確かめた後、そのままひらりと暖簾を掻き分けた。


 「いらっしゃい、今日も冷えますね」
柔和で丸顔の三十半ばの屋台の親父は、満面の笑みで手を擦りながら男に声をかけた。
他意のない人は、親父に釣られて笑みがこぼれるような温かみのある雰囲気。
浪士風体の男は、親父を無視してぶっきらぼうに注文する。
「そばをくれ・・・」
親父は、無愛想で抑揚のない男の声にちらりと目をやった。
「なんだ」
「いえっ、旦那がなんて仰ったのか聞き漏らしたもので・・・」
男は、親父が目を向けるのを知っていたかの様に目を細めて顎をしゃくる。
「そばだよ・・・」
「へいっ」
親父の笑みは消えてなくなり、男に背を向け蕎麦を湯の中に入れた。

 

 浪士風情の男の隣では、先客の若者が食べ終わり箸を丼の上に置いた。
「ごっつあん」
親父は微笑みながら「二十八文です」と告げる。
飢饉続きの時分とはいえ、随分と高い蕎麦。
浪士体は隣に目を向け、その反応を窺う。

   薄汚れた粗末な縦縞の半纏を着た若者は、竹駕籠の荷物入れを肩にかけた。
痩せた体躯で背はさほど高くない。髪は後ろに束ねているだけで散髪もしばらくしていない様子。着物も粗末な古着らしい。
 年の頃は二十二、三といったところ。
顔色が悪くやつれているが、丸い双眸は衰えておらず姿勢は正しい。
蕎麦が二十八文と聴いても驚く様子はない。
若者はわずかに微笑んでいる様にさえ見え、どことなく愛嬌のある顔でうなづいた。
懐に手を突っ込み、若竹色の絹の小袋を取り出す。
「ひい、ふう、みい、よう、いつ」
若者は台の上に銭を並べ、唐突に「今、何時だい?」と親父に微笑みかけた。
 愛想が良く、目と眉が離れていた親父の表情は一変した。
眉間にぐっと力を入れ、若者に顔を近づける。
「何時だと?勘定をごまかそうたってそうはいかねえ。落語の真似なんて太てえ野郎だっ」
「誤魔化そうなんてしねえ・・・」
若者は痩せた手を振った。
「嘘吐くな。そいつは、なんとかってえ落語の真似だろう」
つい先日寄席で聴いたと、親父は惚ける若者を詰め寄る。
「だから、おいらはそんな落語は知らねえし、たかが一文や二文誤魔化す様なケチな男じゃない。そもそも、醤油をケチっているのは親父の方だ。この蕎麦は不味くて五文の価値もない」
因縁をつけられたと親父は苛立つ。
「なんだとっ、うちの蕎麦にケチ付ける気かっ!見るからに小汚い格好してんじゃねえか、食い逃げするつもりだろうっ。つべこべ言わずに銭を出せっ」
若者は親父の大声に動じることなく、手を横に振り遮った。
「逃げも隠れもしない。時を聴いたのは、町奉行所か番屋に行こうと思ったからだ」
「なっ、なんで、町方に用があるんだ・・・」
若者の言い分が解せないためか、親父の口調に勢いがなくなった。
「だから言っただろう、一文や二文誤魔化すようなケチな事はしねえってっ。死ぬ間際にこんな糞不味い蕎麦食わされて、なんで二十八文なんて払わなきゃならないんだっ。五文で嫌なら今から訴え出てやるっ。飢饉続きで物価高だからって、人の足元見るのは罪じゃないってのかっ。おいらの訴えが間違っていたら食い逃げでもなんでも牢にぶち込めばいいっ、どうせ理不尽な世の中にうんざりしてんだっ」
「なんだとっ!」
不味い蕎麦に五文の価値なしと言われた親父はかっとなって、怒鳴り付けようと大口を空けたが、浪士風情の男の手前もあってすぐに収めて睨みつける。
「ふっ、ふざけた事を・・・」
親父はなんとか怒りを押さえ込もうとする。

 

 「おい、そんなにここの蕎麦は不味いのか?」

浪士体の男が若者にきく。
「食えば分かりますよ」
客と親父の諍いに、埒が明かぬと浪士体が声を上げた。
「早く蕎麦を出せ」
若者は、浪士体の顔を見やり「どのみち番屋に行くよ。おいらは五文しか銭はねえ。牢屋敷でも獄門でもかまわない。どうせ、飯食ってから死のうと思って適当な場所を探してたんだ。最後の最後までツイてねえ。こんな糞不味いものが、この世の最後の飯だなんて・・・ 」
と溜息を吐き、重苦しい灰色の空を見上げた。
「なんだとっ、言わせておけばっ!」
浪士体は台に肘を着き「おやじ、待て」と宥めてから、若者の頭から草履までを見やる。
「死に場所ねぇ・・・」
浪士体は流し目で、若者の顔に視線を戻す。
「皮肉なもんだ・・・飢饉に喘ぎ、生きたいとすがって死んでいく者もあれば、死ぬ間際の最後の蕎麦が不味いと怒る野郎。この御時世、お前さんが言う通り、誠、理不尽なもんさ。おいらが蕎麦食ったら番屋に連れてってやる、だからちょっと待て・・・親父、さっさと蕎麦出せよ」
「へっ、へいっ」
不味いと言われ躊躇していた親父が、おずおずと蕎麦を出した。
「おめえの言う事が、理に適っているかどうか確かめてやる」
 浪士風情の男は一口二口と蕎麦を啜り、顔を顰(しか)めて箸を置く。

「確かにひでえ味だ、食えたもんじゃねえ・・・だが、勘定は勘定だ。こいつのも一緒に払ってやる・・・」
親父は申し訳なさそうな態度に変わり、ぺこぺこと頭を下げる。
「〆て三十文でいいな・・・」
それを聞いた親父は、浪人風情の男を睨み屋台の裏から回り込もうと菜箸(さいばし)を置く。
「おっと待った。親父、今年の正月に出た町触を知らねえのか?」
「町触ってなんだっ!」
「ふんっ、シラ切るつもりか。正月早々、蕎麦は二十八文から十五文にしろって値下令が出てんの知ってんだろう。それに加えて、おめえんとこの蕎麦は糞が付くほど、まじいって宿場中の噂になっている。この蕎麦つゆ、馬のしょんべんみてえな色で味がねえ。お前の屋台がぼったくっているって苦情がおいらの耳にも入っているんだ。おめえのやり方は詐欺だな・・・」
 親父は開き直る。
「冗談じゃねえっ!お武家だか浪人だか知りませんが、詐欺とは聞き捨てなりませんぜっ。醤油だって全く手に入らねんだから仕方ねえじゃありませんかっ」
「おめえは値下令を知ってたはずだ。天保八年一月付で蕎麦屋の組合に通達が出ている。それを知らねえって事はモグリで商売してんのか?蜘蛛の巣張るように、店先にも値段を出さねえで、客が食った後に勘定を要求している。これ以上、文句があるんなら、こいつと一緒に番屋に連れて行こうか?そしたら、二度と商売できなくなるぜ」
「すっ、すいやせん。御勘弁を・・・」
親父はびくりとして銭を受取る。
浪士風情の男は暖簾をかき上げ、振り向きざまに親父を睨んでから歩き出す。
「しょんべん蕎麦十五文って書いて置けっ。おう、ついてきな・・・」
若者も後に続いて歩き出す。

 

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   (江戸名所図会 四谷大木戸)

 

    (2)
 二人は、四谷大木戸に向かう。
道沿いの水路付近を歩いていると、柵に寄り添う番人が頭を下げた。
「おう・・・」
浪士風情の男はちょいと手を上げ、挨拶に応えながら進む。
後ろを歩く若者は、紋付を着てはいないが、恐らく役人なんだろうと察する。
「よう・・・」
浪士風の男が振り返った。
「あいつら、なんで水路の近くで立っていると思う?」
いざこざを起こした若者は「さあ・・・」と小首を傾げた。
「この水は御府内に送られる。長い玉川上水の所々に水番屋がある。その番人が、しょんべんなんかする奴や、洗濯、ごみ流しをする野郎がいねえか見張ってんだ。そんで、ここらで見張っているのは、ごみが流れてこねえかだけじゃねえ・・・なんだと思う?」
若者は気もそぞろに「水が澄んでいるか確かめておられるんですか?」と答える。
「それも一理あるが、もう一つはこの水路に身投げや死人を流す奴がいねえかを見張っている・・・飢饉で人が死にすぎて埋める場所もねえからって流す奴もいる。それに、どうにもならなくなった男女や親子心中なんかもな。御江戸の飲み水に死体が入っていたら、皆ころりと死んじまう。好き勝手に死なれちゃ困るって訳だ・・・分かるな」
死に場所を探していると言った若者を、振り向き様に冷めた眼差しを向ける。
「はい・・・」
若者は小さく頷き、視線を逸らす。
 浪士風情の男は更に話を続けながら歩く。
「去年の暮、丁度今頃の十一月だった・・・両国橋の近くで、おめえと同じように親子が屋台で飯を食ってから身投げしちまった。屋台の親父の話じゃ、その親子は全く死ぬ素振りなんて見せなかった。むしろ、美味いと言って親が子にもっと食えと、それりゃ仲睦まじかったって話だ。おめえが死に場所を探しているって言った時、ふっとその事を思い出した。ここ四、五年、身投げ、捨て子、行方不明が多くてな・・・」

 二人は大木戸近くの臨時番屋の前に立つと、中から声が聞えてきた。
「半っ」
「いや、丁っ。丁で決まりだっ」
「丁半、出揃いましたっ。ようござんすね、ようござんすねぇ~っ」
 浪士風情が、若者を連れて番屋の中に入る。
博打に夢中で、誰が来たのかも気付かない岡っ引きが四人。
伏せられたツボに這い蹲って、じっと見入っていた。
連れて来られた若者は、番屋で賭博ってどうなっているんだと、浪士風の男を見つめる。
その視線に、恥ずかしさと悔しさでかっとなる。
「良かねえやっ、すっとこどっこいっ」
ツボを伏せて取り仕切る岡っ引きの後頭部をぴしゃりと引っ叩く。
「痛ってえなっ、誰だこの野郎っ!」
岡っ引き連中が一斉に見上げた。
「げーっ、白沢様っ」
「ふん、人がわざわざ薄ら寒い日に出て行ったのを見届けてから丁半かっ、好い気なもんだなっ」
岡っ引き四人はぞろぞろと連座して、白沢と呼ばれる男に手を付いて謝った。
「すっ、すいやせんっ!」
白沢の怒りは収まらない。
岡っ引きの四人はそれぞれ顔を見合わせ、この場を何とか取り繕おうと愛想笑いで宥(なだ)めにかかる。
「いやぁ~っ、お寒い中御難儀で御座いました。丁度、見廻りに行こうかと思っていました・・・」
白沢は左手を刀にかけ、かたかたと震え始めた。
さいころとツボ持って見廻りか?ふざけんなっ。雁首そろえて、にやにやしてんじゃねえっ。さっさと廻ってこいっ!」

「へいっ」
四人は慌てふためき、つっかけに足を入れ、慌しく番屋から飛び出していった。
「行って参りますっ」
「おとといきやがれ、馬鹿野郎っ」
 白沢は縁側に腰掛け、足袋を脱ぐ。
付いて来た若者に足を洗って上がるように言う。
「あいつら、火鉢の湯もそのままで行きやがって・・・おう、そこに足洗い桶があるから自分でやってくれ」
若者は桶に水を入れ、足を洗うと畳に上がった。

「失礼致します」
 白沢は引出しから煙管を取り出し、火鉢に近づけ煙をふかして一服する。
「さみいな・・・」と若者にさらりと目を向けた。
「仲間内で丁半なんてやりやがって馬鹿ばっかだ。おめえもそう思わねえか?」
「さあ、博打はやらないので・・・」
「博打は御法度だもんな。一概にやるなとは言わねえ。でも、仲間内でやるってえのがくだらねえ。そのうち喧嘩になるか、借金背負って頭が上がらなくなるのが目に見えてらぁ。それも分からねえんだからしょうがねえ、しかも番屋でやりやがって・・・まあいいさ。おいらは、北町同心で窮民送り方出役の白沢信一郎ってもんだ。行倒人やら迷い人を見つけて身元を確かめるのが役目だ。だから、お前さんの望み通り連れて来てやった。早速だが、お前さんの名と国はどこだ?」

 若者は白沢信一郎が同心だと知り、丸い目を伏せて視線を避けた。
信一郎の哀れみとも蔑みともつかぬ眼差しに座を正す。
「名は、仙蔵と申します。甲斐の百姓でございます・・・どうぞ、こちらを御改め下さい」
仙蔵は荷物の中から往来手形を取り出し、信一郎に差し出した。
「なになに、甲斐八代郡各田村仙蔵。右者、この度、伊勢参詣に罷り出申し候。御関所を御通し下されますよう願います。万一、旅の途中で病気、又は病死したような場合は寺院や御役人の御慈悲を持ちまして、その土地の風習に従いお手当、御始末頂けますよう、この段、ひとえに御願い申し上げます。

天保七丙申年十二月廿日甲斐八代郡各田村名主冷嶋猪吉。※ 在方のもんか・・・さみいから湯でも飲め。歳は幾つだ」

(在方=江戸から五六里以上離れている者)

「二十六でござます。頂戴します」 
仙蔵は頭を下げ一口啜った。
「二十六か、若く見えるな。おいらと五つしか変わらねえのか・・・」
 信一郎は仙蔵とやらの神妙な態度と口調に純朴な気質を感じ取る。
岡っ引き連中は博打がばれた時、嘘を吐いて取り繕ろうとした。

大抵、そうやって自分を正当化しようとする。
  この仙蔵、喧嘩を吹っかけたが、蕎麦は確かに不味く五文の価値もないという主張も分らなくもない。食い逃げとなれば罪は罪だが、その愚直さが何となく気に入った。
信一郎は、仙蔵が死ぬということに同情した訳ではないが、その場の気まぐれで驕っていた。
ひどく不味いせいもあったのかもしれないが、どことなく憎めず、詳しい素性を調べる。

 

 窮民送り方出役同心の役目は、飢饉の際に創設された、臨時的な役目。
天保の大飢饉が五、六年続き、近在遠方より江戸に流入民が大挙し、餓死者、行倒人や乞食で溢れ返った。
 また、江戸の界隈でもその日暮しの者が長屋を追い出されるなど、およそ六、七十万人が幕府の金米の施しを求めて行列を成していた。
捨て子、妻子捨て、夫の病死等、行き場のない女も溢れ、佐久間町だけで月に百六十人ほどが御救小屋に殺到。
 当初、御救小屋は佐久間町一箇所に設置したが、天保七年三月に新たに三箇所増設した。
だが、肝心の辻番や自身番の者が、行倒人迷い人を御救小屋へ連れて行かず、見て見ぬふりをしていた。
その為、江戸町奉行所が、窮民送り方出役を急遽配置、増員し、町場で行き場のない者や病気の者を医者に見せるなどの任に当たっていた。
人道的配慮もあったが、治安の悪化と疫病の流行を恐れた為の措置であった。

 信一郎は、仙蔵の手形に一通り目を通し、煙草の煙を天井に向けてふうと吐いた。
「この往来手形は去年のものだ。伊勢詣りが終わって死ぬってどういうこった。御蔭様で死ぬってか?訳が分からねえ」
「実は、まだ行っておりません・・・」

 

   仙蔵が江戸に出てきた顛末は、天保七年八月に甲斐一国が騒乱となった、郡内騒動だと語り始めた。

 

   

                        (3)へ続く・・・  

 

 

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#おもてなしの極意# ドキュメント新宿 戦国コスプレそば「三献」全3話③最終話  読み時間約10分

  

   (3)

 

 福島正則は、しつこく目が痛い素振りをする石田を睨みつける。

「早う、どんぶりにつゆを入れて来いっ」

石田はまだ目がかすんでいる様な小芝居を続けて、また擦る。

「ああっ、今持ってくるよ、だから怒鳴るなよ。まだ痛いな・・・」

すごすごとカウンターの中に舞い戻ると、どんぶりを用意した。

「どうだ、この黒楽のどんぶり・・・お主らの勝負に持って来いだろう」

「ふんっ、能書きはいいから、さっさとワサビを持てっ」

石田は冷蔵庫からワサビのチューブを取り出し、福島正則に見せる。

「バウスとSP、どっちがいい?」

福島は腕を組み、顎髭をねじって考える。

「うーん、バウスは意外と辛みがまろやかだから、SPのワサビにしよう」

石田はSPのチューブを福島に渡す。

 

 母里友信福島正則はテーブルに対峙し、席に着く。

母里の前には盛り蕎麦が置かれ、福島の前には黒楽のどんぶり。

福島はSPのワサビの蓋を外し、ニュルニュルっと並々とつゆが入ったどんぶりの淵になすりつけ、母里の顔を見てほくそ笑む。

「どうだ、これは辛いぞ~っ」

負けてなるものかと母里も鼻であしらう。

「ふんっ、なんのそれきしっ」

「ならば、更に追加っ」

福島はチューブの下からググッと残らず絞り出そうと剛腕に力を漲らせるが、手を止めた。

「ワサビを全部入れてしまったら、もはや蕎麦とはいえんな・・・」

母里は意外に少ないワサビに戸惑った。

「いいのか?わしは全部飲み干すぞ。そしたら、お主は家を失うぞ?」

「ああっ、俺は誰かと違って卑怯なマネはせん。俺も武士、覆すことはせんっ」

「今の言葉、しかと聴いたぞっ。いざ勝負っ!」

 

 母里友信はニコニコと勝利を確信して箸を持つ。

一口でそばを平らげようと、嶋左近の手打ちそばを挟めるだけ挟んだ。

そして、ワサビの入ったつゆにだぶっとしっかりと浸し「ずずっ」と啜り上げた。

母里は掴んだそば全てを口の中に入れると、目をぐっと固く瞑って上を向く。

「うーっ!」

三成は喉の詰まったかと、コップに入った水を持ち寄る。

福島はSPのワサビのチューブを母里の顔の前にぶら下げ、意地悪く微笑む。

「ふふっ、どうだ・・・すごいだろう」

「ぐふっ・・・」

母里は顔を振り上げたかと思うと、たちまち振り下げて耐えている。

「吐いちまえよ・・・吐いてすっきりするんだよ。おめえさんには耐えられねえ」

福島は犯人を落とす刑事の如く、苦しむ母里をやさしく諭す。

母里はかっと目を見開くと、口を押えて飛び上がる。

「むーっ!」

 それを見ていた、石田も近づく。

「母里殿っ、吐くか?」

母里は毒でも喰らった様に喉を抑えて苦しみ、上を向いて吐き出すのを耐え忍ぶ。

「ぬぐ~っ!」

福島はにやりと静かに首を振る。

「ムリだ、友信。この勝負、俺の勝ちだ・・・歴史は繰り返すとは限らない。三成っ、バケツを持って来い」

三成は静かにうなづくと大きな青いバケツを持ち寄った。

青紫色になって口と喉を押さえる母里友信は、目を血走らせバケツを抱きかかえると、

さっと、皆に背を向ける。

「オエ~ッ!」

続いて、三成は今度は中くらいの青いバケツを母里に渡すと、母里はバケツの前に膝まづく。

「ぐえーっ!」

最後に、青い小バケツを三成は母里の前に置く。

「ウエーッ。舌がぁっ、舌が痺れるーっ。トリカブトでも入っているのかっ、マズイっ、つゆが酸っぱいっ、腐っているのかっ!」

 

 福島正則は、ゴロゴロとのたうち回る母里友信を上から見据えて高笑う。

「がはははっ、だから最初から申したではないかっ!左近のそばは本物だが、三成のつゆはクソマズイとっ。こいつの味覚は破壊されておる。そば茶屋『三献』とは片腹痛いわっ。上っ面のおしつけがましいもてなしは、所詮『三献のゲロバケツ』。分かったか、三成っ。そして友信っ、これでも気の毒に思って、わざとワサビで味をごまかしてやろうとしたんだ。ワサビがなかったらお主の命はなかったかもしれんぞ。わはははっ」

 

 母里友信は力を振り絞って、ふらふらと体を起こす。

口元を袖で拭い涙を流しながら、石田三成を睨みつけた。

「貴様、よくもっ・・・よくも、こんなものを客に出せたなっ。この店は取り潰しだ、太閤殿下に御報告致す・・・」

母里友信。どさりと崩れて、泡を吹く・・・。

 

 太閤殿下に御報告?

まさか・・・

 

 私は痙攣する母里友信を介抱するふりをして、身をかがめながら思案する。

 

 もてなしの心、気遣いの心があったのは、

口は悪いが正直者の福島正則かもしれない・・・。

 

 現実逃避の空想ともつかない世界から、

一旦、距離を取ろうと私は隙を付いて店を飛び出した。

 

          

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                                      (終)

 

 

 

 

 ※ 史実の山名豊国は、秀吉の侵攻の際、一旦(いったん)、鳥取城に籠城する。

城内では家臣たちが徹底抗戦を主張する中、豊国は抗戦派の家臣を残して城を抜け出し、勝手に秀吉に降伏してしまう。残った家臣は、豊国を追放し毛利家の吉川経家を迎えた。

 見方を変えれば、この逃げ足の速さは機敏な判断力ともいえるかもしれない。

残された家臣はたまったものではないが・・・。

 

 後に、関ケ原で徳川方に付き、功もあって6700石、七美郡(しつみぐん)70村を家康から領有を許され、名門山名家を再興した。

子孫は、高家旗本として江戸時代の末まで存続。   

 明治元年もしくは2年(1868)。

子孫たちの功績により1万1000石の村岡藩にまで盛り立てた。

 

尚、山名豊国は和歌、連歌などの文化芸術に長じ、家康、秀忠の茶会にも参加している。

                    

  ≪ ウィキペティア本文より要約 ≫

 

 

 現代で、ヘタに歴史上の人物のマネをしても、同じ様には、ほぼならない。

一代で築く武功、業績を重んじるのも考え方の一つ。

そして、自分を知り、子孫に託するという考え方もまた一つ。

その一例が、山名豊国殿かもしれない。

裏切られた家臣の冥福を祈りつつも・・・。

 

 

 おわりに。

石田三成は、小姓時代に自分の知行500石全てを、渡辺勘兵衛に与えて家臣とした。

三成が家臣である勘兵衛宅に居候している事を秀吉は聴き、大いに笑うが感心したという。

 また、約4万石の知行を得ていた頃、その半分を分け与え、家臣とした嶋左近(清興)。

全ては、主君・豊臣秀吉の為。

ひいては、石田三成の旗印「大一大万大吉」が目指すところに通ずるのではないか。

 

 「一人が万人の為、万人が一人の為に尽くせば人々は幸せになる」                                                                                                               (異説あり)

 

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 石田三成であっても、不測の事態(想定できない想定外の出来事)に備えた。

何の為に金が必要かを真っ先に考えた石田三成の精神を少しでも見習いたいと頭が下がる。

 

 今は予測もできぬ不安な時期。

まずは、「何の為」と自身に問いかける事が、他者もしくは自分に対する、「もてなし」(物事が上手く運ぶように処置する事)につながる第一歩かもしれない。

 

 

〇本作はあくまでもフィクションです〇   

#おもてなしの極意# ドキュメント新宿 戦国コスプレそば「三献」 全3話②(改訂)  読み時間約10分

   (2)

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 ※本作のイメージをiphoneで、初めて書いた残念な結果です。

 

 

 史実では、福島正則は共に酒豪である、母里友信(もりとものぶ)に大杯に入った酒を勧め、見事飲み干せた暁には、好きな物をなんでもやると豪語した。

母里友信はそれでも酒を拒んでいると、福島正則が罵倒する。

「黒田武士は酔ったら役に立たん」

主家である黒田家をも傷つけられた母里は、大杯の酒を見事飲み干し、福島正則豊臣秀吉から貰った天下三名槍の一つである「日本号」を望んだ。

福島正則は大層悔しがったが、男が言った手前、一悶着ありながらも譲り渡したという・・・。

 

 この流れからすると、酒乱の福島であるが故、ここにいる母里を語る男に何か大事な物を取られる運命・・・。

現代の母里友信は何を望むつもりなのか?

私はあからさまに振り向けず、耳だけを頼りにこの二人の動向を伺う。

 

 母里はしばらく沈黙を守っていた。

すると、しびれを切らした福島正則がテーブルをゴンっと叩く。

「俺の酒が呑めねえのかっ!うんとかすんとか何とか言ってみろってんだっ」

 見かねた石田三成が一声かける。

「正則、もうよいではないか。母里殿は困っておるではないか」

茶坊主はすっこんでろっ!」

「その言葉、聞き捨てならんっ。我は石田治部少輔なるぞっ」

福島正則はじろりと石田三成を睨みつける。

「なにが治部だっ、くやしかったら俺と勝負するか?そんなニワトリみたいな体で俺様に勝てるとでも思っているのか?」

石田三成は悔しさをぐっと堪え、拭いていた皿を鼻息荒く静かに置いた。

「うぬうっ、言わせておけばっ・・・・」

今にもカウンターを乗り越えてとびかからんとする様相をみせる。

 

 厨房から嶋左近が颯爽と客席に現れ、間に入って福島正則をけん制する。

「三成様、ここはお任せを。母里殿、もり蕎麦をお持ち致しました・・・」

「おおっ、これは見事。蕎麦がつややかに光っているではないか」

母里は喜び、嶋左近に笑みを向ける。

「ぶはははっ、バカだなっ。あっ、そうだ。いい事を思いついた。この蕎麦とつゆ。全て残さず飲み干せたら、お前に俺の家をくれてやるっ!」

母里友信は目を剥いて、福島正則に顔を寄せた。

「誠かっ!拙者は住み込みだから、後でなかった事にしてくれと言われても絶対に返さんぞっ、良いんだな?」

 

 住み込み・・・って一体どういう人間なんだ。

 

 福島正則はちらりと蕎麦猪口を睨み「いやっ、ただし条件がある」と待ったをかける。

住み込みの母里友信は焦れた様子でソワソワしだす。

「なっ、なんだ、条件とは?」

福島は主導権を握ったとばかりに、口調に落ち着きがみえる。

「そうよなぁ、この蕎麦猪口では小さすぎる・・・猪口ではなくどんぶりのつゆを飲み干す事だ。蕎麦はもちろん、ワサビを入れたつゆ。全て飲み干せたら、俺ん家をくれてやる。時間制限はない・・・」

これを聴いた母里は、この勝負もらったとばかりに声を弾ませる。

「誠かっ?時間制限がなければ、どんなに辛いワサビでも耐えて完食するぞっ!後で冗談では済まさんぞっ」

「ああっ。ただし、ワサビは俺が入れる。吐き出した時点で終わりだ」

「かまわんっ、家一軒もらえるならワサビの辛さなど屁でもないわっ。石田殿、嶋殿。立会人になって頂けるか?」

石田三成は決意を固めた様で、深く頷く。

「いいだろうっ。この勝負、どちらが勝っても負けても異論はなき様・・・あいや、待たれよ」

母里と福島が三成の顔に目を向けた。

「いかがした?」

「もし、母里殿がこの勝負に負けた時はいかがする、正則」

石田三成は母里と福島の両人の顔をそれぞれ見つめた。

「そうよなぁ、もし友信が負けた時は・・・」

母里、石田、嶋の三人は福島の返答に聞き入り、店がしんと静まり返る。

福島正則は顎髭をなでる手を止め、にやりと微笑む。

「ならば、お主の家を貰(もら)おう・・・」

はっ?

福島以外、そば耳を立てていた私を含め、4人とも首を傾げる。

「えっ?」

ぽかんとしながら他の3人は、福島正則の顔を覗き込む。

「だから、母里友信の家をもらうって言ってんだっ、これで公平だろう・・・」

石田三成は非常にイヤなものを見るかの如く、福島正則の顔を覗き込んだ。

「うわ~っ、稀に見る猪武者・・・いやっ、こんな大バカ見たことない・・・」

「うるせぇっ、誰が大バカだっ。ニワトリみてえに首ねじ切るぞっ!」

嶋左近が怒りに任せて立ち上がる福島の態度に「くくっ」と噴出した。

「てめえっ、今笑ったなっ」

「くくっ、ぶはははっ。これが笑わずにおれようか。母里殿は住み込みで家を持ち合わせておらぬというのに、どうしてお主が勝った時に、無い家をやれるというのだ。そんな事考えずとも分かるというもの、まさしく稀代の愚か・・・」

 

 「うっ・・・」

やっと気づいた福島正則ははっとして一同から目を逸らし、両手を腰に当て天を仰ぐ。

そしてまた、何かを思いついたようだ。

勝ち誇ったように、「ぶはははっ!」と突如振り返り笑い飛ばす。

私を含め一同は、とうとう福島正則は異次元に昇天してしまったかと、恐る恐る一歩下がって様子を見守る。

「甘いなっ、お主らは・・・」

福島正則は今一度快活に笑い声を上げる。

「わはははっ、母里の槍の腕は天下に名を轟かせる。その男ならば、わしの家でなくともいとも簡単に一国一城の主になるというものだ。その時、わしはその城をもらい受けるという意味で申したのだっ。バカなのはお主らのほうだ、わしの方が先を読んでものを申しておるのだ、愚か者めがっ」

 

 すごい言い訳を繰り出してきたもんだと呆れる中、一人、母里友信は感激している。

「正則っ、お主はそこまでわしの事を見込んでおるのかっ?」

「おっ、おうとも・・・。お主の槍は天下一品。だから、いずれ一城の主となったら城をもらい受ける」

母里は更に喜び立ち上がる。

「お主は器がでかいのうっ。さすがは賤ケ岳の七本槍っ。ならば、この勝負受けて立つ。石田殿、つゆの御準備を願いたい。あっ、そうだ・・・そこの客人、カウンターに座られておられる御客人っ」

 

 えっ、私?・・・私しか他にはいない。

 

 惚けていても背中に3人の熱視線。

そして、正面の石田三成もカウンター越しに乗り出し、私をグイグイと下から覗き込んで目を合わせようとしてくる。

イヤだな~っ・・・私は関係ない。やめてくれ、巻き込まないでくれ・・・。

石田三成はうつむく私を更に下から強引に覗き、声をかけてきた。

「お客様、後ろの母里友信殿がお声がけをしております」

最悪だぁ・・・

私は恐る恐る戦国コスプレ中年に振り返るしかなかった。

 顔を上げると、190cmの陣羽織姿の3人が仁王立ちで私を見据えている。

「わっ、私ですか?」

私に呼びかけた母里友信が顔を近づける。

「左様、今までの我々の会話を聞いておったであろう?」

「えっ?まあ・・・なんとなく」

「ならば話は早い。この勝負、御客人にも立会って欲しい、良いな?」

 

 えーっ!イヤだよっ。

なんで、こんな戦国バカのワサビ入りのそば勝負に付き合わなければならないんだっ!

 

「あいや、待たれよっ。唐突に見ず知らずの客人の立会いとなればいささか問題があろう」

嶋左近を名乗る男が間に入ってくれた。

 

 良かったっ、逃げられるかもしれないっ。

 

 短気の福島正則が、嶋左近にいちゃもんを付ける。

「ごちゃごちゃうるせーなっ。だったら、立会人の連判状を書けば問題なかろうっ」

「おーっ、それは良い考えだ。客人、手間をかけるが、連判状に名をしたためてはくれまいか。この勝負、拙者の家がかかっておるのでな」

母里友信が私の肩に手を載せてきた。

重い・・・。

 あんたの家なんか知ったこっちゃないっ。私には何の益もなく、どうして本名をさらさねばならないんだっ、冗談じゃない。

かと言って、レスラーの様な連中に取り囲まれている状態では、もはや袋のネズミ・・・。

 

 そこへ、石田三成が筆と硯、そして蕎麦を乗せる容器の底に敷く竹すだれを持ってきた。

「すまん。紙がないから、これで・・・」

福島正則が、竹すだれを指で摘まんで、いちゃもんを付ける。

「普通、半紙とか和紙だろう・・・。よりによって、竹すだれなんてバカかっ。細かくてこんなもんに書ける訳ねーだろう、奈良時代じゃねえんだぞっ。今は戦国だぞ、戦国っ」

母里友信も大きく頷く。

「左様、今は戦国乱世・・・竹簡の時代ではない」

石田三成は二人に責められ抗弁する。

「仕方ないではないかっ、紙がないのだから。他はキッチンペーパーかトイレットペーパーぐらいしかないのだ。キッチンペーパーはボコボコして書きづらい・・・」

石田、福島、母里の3人が腕を組んで考え込む。

 

「これはどうだろうっ!」

嶋左近が片手に茶色い台形の様な紙を突き上げて厨房から出てきた。

「なんだそれっ」

福島が目を凝らす。

「もしや、コーヒーフィルターかっ。さすがは知恵者.。やる事もおしゃれだ」

母里友信が嶋に近づく。

「いや~っ、おしゃれとはちと言いすぎであろう・・・」

嶋左近は照れて、小首を傾げてもじもじとしている。

「左近、やるではないか。褒めてつかわす」

「三成様、勿体なきお言葉にございます」

 

 アホが4人・・・。

こうなると、富士急のお化け屋敷よりも怖い。

まじめに褒め合っているから極悪だ。

 

 これと決まると、コーヒーフィルターを囲んで4人がすっからかんの頭を突き合わせる。

福島正則を尊敬ではなく冒涜しているに他ならない、現代のアホの福島が「誰が一番に書く?」と口を尖らせ、媚びたように他の3人の顔を見渡す。

「それは、お主の家を賭けての勝負なんだから、お主が筆頭だろう」

切れ者に憧れる、ぼんくらの石田が真面目に答えている。

「そっか。俺と母里の勝負だもんな。じゃあ、お先に」

福島は筆でささっと署名した。

「福島殿、花押がないぞ」

嶋左近を名乗るニセ者が、至極当然とばかりに指摘する。

「花押?なんだそれ・・・」

「花押を知らんのか?武将ならば誰でも持っているものだぞっ」

筋肉バカ2020、母里友信を語る男が続いて名前と花押を書き、筆を置く。

「おおっ、かっこいいな。それ」

「それって、これが花押というものだ。しっかりしろ、福島殿」

史実に反するたわけの左近が、蔑んだ目で福島を見やる。

「では、立会人である、拙者石田治部少輔三成・・・」

「おおっ、治部も花押を持っておるのか」

「まあな・・・正則もちゃんと書ける様にしとけよ」

 続いて、たわけの左近も袖をまくり、大げさに筆を振り上げカッコつけて署名する。

その後、ピタリと手が止まる。

なかなか筆が進まない左近に、福島正則がけしかける。

「ポーズがうるせえっ。さっさと花押を書け」

「お静かにっ・・・」

「あれ、人に説教しておいて、もしや忘れたんじゃねえだろうな?」

「急き立てるでない、やかましくて書けんだろうがっ。確か、こんな感じだったな・・・」

「なんだそれ・・・うずまきじゃねえか」

「うずまきではないっ、和紙ではないから筆がもつれたんだ」

「花押が、うずまきって・・・ふっ」

「だから、うずまきではないっ」

「だったら、蚊取り線香か?それとも、とぐろを巻くヘビか?お主のほっぺたにでも書いとけよ。嶋バカボン守(のかみ)左近、ぴったりだ。俺が書いてやろうか?」

「やかましいっ!ならば、お主の眉毛をつなげるぞっ」

酔ってしつこい福島の冷やかしに、嶋左近も激高する。

 

 その間に三成が割って入る。

「二人ともやめいっ。急遽、こういった事になったのだ。互いにもめるのは良くない。では、最後に御客人、お願い致すっ」

 

 忘れていない、地獄だぁ・・・。

「いざっ、御客人っ!」

「さあっ、さあっ、さあっ、さあっ」

4人の連呼に追い立てられる。

そうだ、どうせこいつらは正気の沙汰じゃない・・・。

ならば、ウソの名前を書いたってバレやしない。

 

 嶋左近に無理やり筆を持たされてしまう。

「ほらっ、しっかり持って」

うわ~っ・・・。

強い武将だと敵対される恐れがある。ここは、影が薄い武将でやりすごそう。

フィルターの隅に小さく署名し筆を置く。

  

 福島正則がフィルターを手に取り、顔を近づけ目を凝らす。

「ちっちぇ字だなぁ・・・おめえさん、山名豊国(やまなとよくに)ってえのか?」

石田三成は山名と聞き、小首を傾げて呟いた。

「山名・・・はてどこかで聞いた事があるなぁ」

懐刀を自称する、なまくらの島左近は頷いた。

「う~ん、渋いと申すか、なんとも微妙な武将・・・。信長の野望でも、なかなか使う人物はおりません。初心者がプレイしようものなら10ターンで滅ぼされてしまう。手慣れたプレーヤーであっても、最終的に選ぶか迷うほど・・・」

 母里友信も思い出したとばかりに大きく頷いた。

「左様。拙者は播磨、山名殿は但馬で隣国同士だから存じておるが、一言で申せば、地味。気の毒なほどの薄口武将・・・。日本全国見まわしても、山名殿を崇める人物はそうそうおらん。変わった御仁だ・・・」

 福島正則は腕を組み、顔を顰めて私を上から下まで凝視し首を捻る。

「豊国という響きも、なんと申すか迫力を感じない・・・こういう聞き方は良くないかもしれんが、山名豊国殿のどこが?」

 

 福島正則の質問に私は言葉を詰まらせる。

しまった、マイナーすぎたのが仇となってしまった。

逆に興味を抱かせ、あたふたしていると、母里友信は腕を組んで更なるうなりを上げる。

「う~ん、分からんっ。華々しさがまるでない・・・だが、山名殿を崇拝しているとなれば、余程の隠し玉を持っているやもしれん。令和の山名殿、我らの概念を一変させる逸話を御教示願いたいっ。御一同、『NHKスペシャル』とか『灼熱大陸』で取り上げらる程、歴史観が一変するエピソードがあるやもしれんぞっ」

 石田、嶋、福島、母里。戦国かぶれ4人が、更に間合いを詰め声をそろえる。

「是非とも御伺いしたいっ、山名殿のエピソードXをっ!」

 

 とうとう令和の山名殿にされてしまった挙句、NHKスペシャル並みのエピソード聞かせろとは・・・困った、書くんじゃなかった。

待てよ、NHKスペシャルと言えば、サムライコーチンの一件があったな・・・。

山名豊国について、私が知っている事といえばウィキポティアで読んだ事ぐらいだが、

ガセネタではない話をしよう。

「では、一つ・・・」

 

 四人はそれぞれ椅子に腰かける。

福島などは椅子をくるりと回し、背もたれを私の正面に向けて座る。そこへ両腕を乗せ、前のめりに顎を置いて聴く態勢を整えた。

 ずっ、随分と近い。まあ、しょうがない・・・。

「1580年頃。秀吉公に投降後、山名殿はかつて六分の一州殿と言わしめた名門のプライドを重んじられたのでしょう、秀吉公への仕官を断りました。そして、浪々の身となった山名殿は、摂津の多田氏の食客として住まわせてもらうことになります。ここで数年過ごした後、徳川家康に仕官の口を勧められ退去する際、多田氏へ丁重に礼を述べた律儀者とききます・・・」

 

 「えっ?」

福島正則が非常に厳しい顔で「すうーっ」息を吸い、眉間に皺を寄せ合点がゆかぬと迫り来る。

「それだけ?」

「それだけです・・・」

「お礼を言うのは当たり前だろう、食わしてもらっていたんだろう?」

「まあ、小遣いももらっていたかもしれません・・・」

「それで黙って出て行ったら、普通、血祭だろう~っ。他にもっと和製ベートーベンとか言われる様な文化的なものとか、煮詰まったら机に頭をぶつけるとか、皆が引く様な武勇伝とかないのかよ?」

私は他に思いつかず、静かに目を閉じた。

「残念ながら・・・ございません」

「残念なんてもんじゃねえ、聞き損だ。んで、山名豊国殿を崇(あが)めておられるのかっ?意味分かんねぇ・・・」

福島正則は何度も左右に首を振り、呆れて他の3人の顔を見渡し、髷の付け根をごりごりと掻いて臭いを嗅ぐ。

「変なの・・・」

 

 あんたらは、十分変態だろう・・・。 

 

 嶋左近も納得できんとスマホで調べ始める。

「う~ん、まるでキレがない。例えるならチンタオビール・・・。おっ、ウィキポティアに他のエピソードがあるぞっ」

「どれ、左近聞かせてみよ」

役立たずの石田三成が偉そうに命じる。

「では、僭越ながら・・・なになに、天正8年(1580年)秀吉公に、山名氏の居城である鳥取城を攻められた時、いち・・・これなんて読むんだ?」

スマホの画面を見せられた福島は、すかさず手を振って断った。

「わしは漢字が苦手でな、ムリ」

続いて、嶋は母里友信スマホを見せる。

「わしはここ最近、老眼が・・・」

仕方なく、切れ者に憧れるニセ石田三成に画面を見せる。

「うん?いち、いちふぁん・・・」

嶋は耳を疑い、今一度、石田に聞き返す。

「殿、今なんと仰いましたか?」

「だから、いちやん・・・」

「すいません、聞き取れませんので今一度」

石田はスマホの画面に顔を近づけると、急に眼を擦り「痛っ・・・何か目に入ったっ。山名殿に譲る・・・」と上を向いてごまかした。

そんなに難しい漢字なのかと、私もスマホ画面を嶋左近に見せられた。

「どの字ですか?」

「これ・・・」

「どれです?」

 

 石田がわざとらしく「あっ、ゴミ取れた・・・それはあれだ、韃靼(だったん)文字だ。漢字に似ているから危うく誤読するところであった」

 嶋バカボン守(のかみ)左近は、一旦、スマホをテーブルに置いて手を叩いた。

「なるほどっ、だから分からなかったのですね。ウィキポティアはウソも多いと聞きますからねっ。韃靼文字を忍ばせるとはっ。それを見抜くとは、さすがは我が殿っ!」

 

 韃靼文字?いくらなんでも日本語の中に突如混入してこないだろうと、私はそっと嶋左近のスマホの画面を覗き込んだ。

「どれが韃靼文字なんですか?」

嶋は野太い声で得意げに指をさした。

「こいつですっ、ウィキポティアに抗議しませんとなりませんなっ。日本文に韃靼文字が混じっておると」

福島と母里は、私を弾き飛ばし威勢を付けて激しく同意する。

「そうだっ、そうだっ!こうなったらウィキポティアの本丸を攻め落としてくれんっ。一番槍はむろん俺だ。城主の首を跳ね、シンデレラ城の天辺に突き刺して晒(さら)し首にしてやるうっ」

「待て、あの城はならん・・・後がなにかと面倒だ。権利とか肖像権とか色々うるさいらしいぞ。だから、城攻めにおいては拙者がっ」

母里友信が福島の言葉を制し、いきり立つ。

 嶋バカボン守左近が「このような所に韃靼文字を紛れ込ませるとは卑怯千万・・・では、皆の者、軍議を致すっ」と韃靼文字と主張する文字をトントンと指さした。

 

 私はうるさい連中の間を縫ってスマホ画面を覗く。

「あれっ?これは、一旦(いったん)って読むんですよ。確実に日本語ですね・・・韃靼文字なんかじゃありません」

「なんとっ!山名殿、滅多な事を申されますと御首が飛びますぞっ」

バカボン守左近が、床にひっくり返らんばかりに驚き、私の肩を鷲づかむ。

福島が嶋のスマホをさっと奪うと、googlenで「いったん 意味」と入力。

「おーっ、誠、山名殿の言う通りだっ。一旦と読むらしいぞ、一時的という意味だ。やいっ、石田治部っ!てめえが読めねえからって嘘つきやがったなっ。なにが韃靼文字だ。あっ、そうか韃靼そばから、とんでもねえ事こじつけやがったって寸法かっ。俺はそういう所が昔っから嫌いなんだっ。その目、えぐり抜くぞっ」

現代のアホの石田三成は再び目を擦って、スマホの画面を睨みつける。

「ええっ?まさか。おっ、だんだんと見えてきた・・・まっ誠、一旦とある。かすんでよう見えんかった・・・」

母里も呆れた様子でスマホを覗く石田から取り上げた。

「今更知った顔で読んでおるとは情けない・・・もう良いっ、連判状は出来たから、早速正則の家を賭けて、いざ勝負っ!」

「望むところよっ!」

 

                               (続)

#おもてなしの極意# ドキュメント新宿 戦国コスプレそば「三献」 全3話①(改訂)  読み時間約10分

    

(序)

 

         おもてなし。

 

 オリンピック誘致が成功してからというもの、この言葉に奥ゆかしさが消え、なんだが押しつけがましくうっとおしい。

 

   おもてなし、裏があろうが、おもてなし・・・。

 

 ダジャレを披露したい訳じゃなく、小池百合子東京都知事が、まるで万能の言葉を創造したかの様に、おもてなしを多用している。

以前から抱いていた感情が漏れ出たものだ。

 

※ 尚、「クール・ビズ」も彼女の創作ではなく、環境省の一般公募によるもの。

したがって、一般の方が創作した語彙である。

お間違いなきようお願いします。

 

 オリンピック、都政にまつわる裏事情を揶揄したい訳ではない。

著者自身が、この言葉の意味を理解しているのかと、改めて考えてみるとう~んと首を捻ってしまう。

 

 「おもてなし」

 (何度も書いている著者自身が恥ずかしくなってくる)

 辞書によると、意味は以下の通り。

 

心のこもった待遇。もしくは、顧客に対し心を込めて接待、サービスをする。

 

 しかし、前提条件が欠落している。

 

 訪れる客、もてなす亭主。

そもそも、双方、あるいは一方に礼節やマナーが欠けていたなら、互いの自我と思惑が衝突するだろう。

 

   

   (1)

 

 今に限った事ではないが、企業や飲食店名において戦国武将関連の名前を多々見かける。

特に多いのはラーメン店だろうか。

武将の名は、店の意気込みとその志を模範とし、天下に名を轟かせようと大いなる野望を秘めたものであろう。 

 

 

 2020年2月頃。

武漢ウイルスによって、公共施設などが利用できなくなる以前のこと。

毎日不安を垂れ流すニュース。そして、保険会社と医薬、健康食品のCM。

鬱々と不安にさいなまれる生活にウンザリし、歴史に何か学べるものはないかと、四谷にある新宿区立歴史博物館に足を運んだ。

 常設展示では、古代、中世、江戸時代、現在の新宿に至るまでの移り変わりや復元した建物などがある。

希望すれば、ボランティアの解説員さんが同行し詳しく教えてくれる。

二時間ほど随行して頂き、かつて宿場町だった内藤新宿の成り立ちなどを教授してもらう。

 私よりも解説員の方が熱が入り過ぎて2時間立ちっぱなしとなった。

さすがに足が疲れ、喉も乾けば腹も減る。

博物館を後にする頃には、夕方4時を過ぎていた。

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 四谷三丁目駅を目指し、新宿通りに至る裏路地に蕎麦屋を見つける。

 

 そば茶屋「三献」

居酒屋など飲み屋が多い横町に、ひっそりと奥ゆかしい白壁をあしらった店構え。

落ち着いた雰囲気に休憩も兼ね、引き戸を開けて入店した。

 

 「いらっしゃいませ・・・」

ダイレクトに目に飛び込んできたのは、髷を結った裃姿の男。

私は思わず「うわっ」と声が漏れ、店から出ようと後ずさる。

「あいや待たれよっ」

今一度振り返ると、目が合ってしまい動けない。

店主らしき男は色白で30代の細面。口ひげと、逆三角形の下へ伸びる顎ひげを蓄える。

視線が機敏に動き、私の身なりと様子を一見した後、微笑んだ。

「待たれよ、御客人っ。もしや立ち仕事をなさるお方ではござらぬか?」

 

 私はけん制球にも似た唐突な質問に立ち去れず、改めて男に目を向ける。

やはり、髷を結い、裃姿・・・。

「気を付けろ」と防衛本能が呼びかけてくる。ごくりと唾を飲み込み、わずかに遅れて上ずった声を発した。

「いいえ・・・立ち仕事ではありませんが、先程、区立博物館を拝見しておりましたので足は幾分疲れてはいます・・・・」

 店主は深くうなづき、微笑んだ。

「左様でございましたか。ちなみに、お客様の利き足は左、ではございませぬか?」

私ははっとして、言葉より先に頷いていた。

「はっ、はい・・・でも、どうして?」

「長い事立っていらっしゃる方は、どうしてもどちらかの足をかばって傾きが出てしまうものでございます。お客様は若干ですが右に傾いていらっしゃいます」

「利き足の左側じゃなくて、右に傾いていますか?」

「ええっ、長時間利き足に重心を置いて足が疲れ、無意識に反対側に体重を乗せてしまいます・・・どうぞ、お座りになってどちらのふくらはぎが張っているか確かめて下さい」

店主はカウンター席に手を差し出す。

 

 店を出るに出られなくなり、なんとなく店主の口車に乗せられ椅子に座り、左右のふくらはぎを触ってみた。

あっ、言われてみれば左の方が張っている・・・。

店主を見上げると、ほのかに口角上げて頷き、期を逃さんばかりにさっとお冷を目の前に置く。

喉が渇いていた私は水を一気に飲み干してしまった。

店主は私の欲求を見通しているかの様に、水のお代わりをそっと脇から差し出す。

 

 うん?今度はキンキンに冷えていない・・・。

すっと喉を潤し、ふと一息入れ宙を望む。

店内を見渡すと、暖簾の奥の方でそばを打っている職人の手元が見えた。

そばを捏ねた後、1m程のめん棒をくるりと回し、そばを手際良く伸ばしていく。

バシバシと音もせず、ささっと円盤状になったそばを回転させ、また、めん棒で伸ばす事を繰り返している。

上手いもんだな・・・

 感心して見入っていると、店主が「ご注文はいかがなされますか?」とたずねてきた。

すっかり気が落ち着いて和んでしまい、店を出ることすら忘れてしまう。

「そば屋に入って聞くのも変ですが、お勧めはありますか?」

「今日の様に肌寒い日は、うちの看板にもありますように、三献そばはいかがでしょう?」

私は想像もつかず眉間にしわを寄せ店主を見つめた。

サンコン・・・そば?何ですか」

店主はおしながきを開き、指し示す。

「初めは、そばの風味を感じて頂くために、もりそばを。続いて、鴨を味わう温かい鴨南蛮、最後に天ぷらそばで満喫するよう、小分けにした3種類を順次お出しするという趣向でございます。お値段も980円となっております」

「へえ~っ、なんだかお特ですね。じゃあ、三献そばをお願いします」

最初、店主がちょんまげに裃姿だったことから恐怖さえ感じていたが、なんとも落ち着いた雰囲気だったこともあり、再びコップの水で喉を潤す。

 

 店主は頭を下げると、厨房に振り返る。

「左近、三献そばを頼む・・・」

「かしこまりました」と奥から返事が聞こえてきた。

 

 私は注文したそばを待つ間、店の内装に目を向ける。

武将の肖像画が窓の上に掛けられてある。

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「すみません、この肖像画の方はどなたでいらっしゃいますか?」

店主はゆっくりとほほ笑んだ。

「よくぞ、お訊ね下さいました。この御方は私が敬愛致します、石田治部少輔三成公でございます」

「では、そのお姿は石田三成公ですか?」

「左様でございます・・・三成公にはいくつかの逸話がございますが、なかでも『三献の茶』の話に甚だ感銘したことが、このそば茶屋をはじめる切欠となりました」

三献の茶ですか?宜しければ、そのお話をお聞かせ頂けますか?」

 

 店主は静かに頷き、湯気に香り立つほうじ茶を勧めてきた。

「では、かいつまんでお話いたしましょう・・・世は戦国乱世。近江で秀吉公が鷹狩りの帰りに、とある寺に寄りました。喉が渇いていた秀吉公が、寺の小姓に茶を所望致しましたところ、その小姓は大きな茶碗に人肌ほどの茶を秀吉公にお持ち致しました。さっと秀吉公が飲み干すと、続く2杯目は、1杯目の茶碗よりやや小さめで、温度もこれまたわずかに温かい茶を差し出しました。そして、3杯目に温かい茶を差し出したそうです。この段階を追って、喉の渇きを潤し茶の味を堪能できた事に気づいた秀吉公もまた只ならぬ人物。他の武将ではこの心配りを気づかなかったかもしれません。秀吉公はひかえめな気遣いに大層感心し、この小姓を召し抱えました。その人物こそが、石田治部少輔三成公なのですっ!お分かりですかっ、この細やかな気遣い、出すぎず、ただ相手の気持ちを気遣う心っ。この逸話を後世の創作だという人もいますが、拙者は例え創作だとしても、三成公の御人柄を如実に表した逸話の一つだと思っておりますっ」

店主はカウンターから身を乗り出して私に凄んできた。

 

 拙者・・・。

私は身を引き店主から目を逸らそうと、湯呑茶碗を掴んだ。

「あっちいっ。あっ、では、私がお店に入って来た時に出されたお冷も大層冷たかった。そして、2杯目は氷の量が少なくやや常温に近い冷たさでした。そして、このほうじ茶。つまり、石田三成の精神を引き継いでいらっしゃるんですね」

「三成公ですっ!呼び捨てはなりませんっ。石田治部少輔三成公でございますっ」

「すいません。ええと、石田治部・・・」

「石田治部少輔三成公っ、さあご一緒にっ」

「えっ?」

「ですから、御一緒に」

「私もですか?」

「当たり前じゃないですかっ、他に誰がいるっていうんです」

店主は指揮者の様に音頭を取る。

「さんはいっ、石田治部少輔三成公っ」

 

 めんどくせえ・・・

学生の時も、こういった歴史上の尊敬する人物について熱く語る友人から、同じ様な事を言われた事を思い出す。

誰だっけ、あっそうだ。

直江兼続・・・。

 私が直江兼続と呼び捨てにした時、「直江山城守(やましろのかみ)」とやんわりと言い直された事があった。

山城守は官位であって名前ではないから、直江兼続でいいのかと思ったが、最後まで「直江山城守」と貫き通していた。

そこで、どうしてとか聞くとまた話が長くなると思い、「直江山城守」と追随し、「直江状」の一連のエピソードを聞かされたことと重なった。

 

 すると、奥から190cmはあろう偉丈夫が暖簾を静かに分けて出てきた。

これまた、月代はないが髷を結い、口ひげ顎ひげがつながっている武将タイプ。

兜は被ってないが、陣羽織・・・・。

「三成様、まずは最初の一手、もりそばをお持ち致しましたっ」

 

 私はその言葉にすぐさま反応せざるをなかった。

三成様?

稲川淳二の様に、お化け屋敷の気配。

背筋がぞわぞわとしてくる。イヤだな~っ、怖いな~っ。

 

 そういえば、さっき奥に向かって「左近」と言っていた。

すると、今、ざるそばを持っている40がらみの荒くれの髭男が、嶋左近ということか?

 店主が石田三成を演じ、この男が嶋左近を演じるコスプレそば屋なのか・・・。

ここは、非常に気を付けねば切り殺されるというより、巻き込まれる・・・。

私はちらりと石田三成と嶋左近に目を向けた後、さっとうつむいた。

イヤだな~っ、怖いな~っ・・・。

 

「ガラガラっ、バシっ!」

 

 ひーっ、私は思わず身を縮め、振り返る。

力づくで引き戸が開くなり、こちらもまた大男の2人組の客。

これまた御両人、陣羽織姿。その一人が怒鳴り散らす。

「おいっ、石田治部っ!今日は客として来たっ。てめえんとこのマズイ蕎麦はいらねえっ。酒持って来いっ」

 

 嶋左近を語る40がらみの荒くれ髭男が、もりそばを私の前に置くと、大身でありながら猿(マシラ)の如く横っ飛び、カウンターの脇から客席に躍り出た。

「これはこれは、福島屋さん。他にも御客人がおりますので、お声の方は控えめにお願い致します。宜しければ御座敷にお通し致します」

嶋左近を演じる男と、福島屋と呼ぶ男も同等に大柄。且つ、トラの様な髭を蓄え互いの鼻先が触れ合う寸前で睨み合っている。

福島屋さん・・・少し臭いますが、すでに呑んでいらっしゃいますね?」

「ふん、うるせえ。呑んでたんじゃ店に入れねえってのか?」

嶋左近の方は表情一つ変えていないが、福島屋の方は牙をむかんばかりに眉毛を怒らせ顔を紅潮させ一歩も引かない。

見かねたもう一人の上背がある男が、福島屋という男の腕を掴む。

「おいっ、よせ正則・・・」

 

 正則っ!

嵐のアイマ君じゃない事は確かだ・・・。じゃあ、世田正則?

違う。

と、なると、この男、福島正則を敬愛しているコスプレ男なのかっ!

一体どうなっているっ、石田三成と嶋左近、そして福島正則

じゃあ、もう一人の男は誰なんだ。

この流れからすると、加藤清正か・・・。

 

 まるで、石田三成襲撃事件じゃないかっ。

私は訳が分からない店に入ってしまった後悔もあったが、蕎麦を食うふりをしてそば耳を立て、もう一人の男の名前が出てくるのを待つ。

私は身をすくめ、ここにいないと気配を殺す・・・。

 

 「おいっ、正則。俺はもめる為に来た訳じゃない。石田殿との遺恨は聞いてはおるが、わしは酒じゃなくてそばを食いにきたんだ。座ろう・・・」

 福島正則を語る大男は、肩を掴んだ男に目を剥いた。

「なんだとぉっ?おめえも俺に酒を付き合うんだよっ。こんなところのマズイ蕎麦なんか食えたもんじゃねえぞっ」

もう一人の男は、ちらりと嶋左近と石田三成を語る男に目を向けた後、よりによって、私の後ろの4人掛け席に腰を下ろした。

 福島正則と一緒に来た男は静かに腰かけ、嶋左近を見上げる。

「すまぬが、もり蕎麦を一つ願いたい・・・・」

嶋左近は注文を受けると、石田三成に許可を取るため振り返る。

「いいだろう・・・」

石田治部は小さくうなづく。

嶋左近は厨房に戻るが、福島正則に背を向けずに下がった。

「ふんっ、誰が後ろから襲うかってんだっ。戦う時はいつも正面からよっ。引っ込んで糞マズイそばを持って来やがれっ。陰に隠れて鼻クソなんか入れんじゃねーぞっ」

捨てぜりふを吐いた福島正則は、どかりと連れの男の前に座り直す。

「おめえ、本気か?ここの蕎麦は手打ちだが、つゆがサイテーだぞっ。なんでか知ってか?」

もう一人の男は首を傾げた。

「さあ・・・知らん」

「それはなぁ、石田治部が作っているからだっ、どははは~っ。なあ、佐吉よっ、お前は口先だけなんだ。舌の方は、まるでダメ。味オンチがそば屋とは笑止千万っ。片腹痛いわっ」

大声を上げる福島をもう一人の男がたしなめる。

「よせ、他にも客人がおる。お主は呑みすぎだ。水か茶にしておけ。拙者は呑まんぞ」

「なんだと~っ!おいっ、治部っ。とっとと酒を持って来いっ」

 店主の石田三成を語る男は皿を拭きながら静かに呟いた。

「市松、帰って寝ろ。呑みすぎだ・・・」

「随分と酔っておるから水を飲め」

連れの男が荒ぶる福島の肩を押さえつけた。

「幼名で呼ぶなっ、おめえは触んじゃねえっ!」

福島正則は立ち上がり、連れの男を上から覗き込む。

「俺より酒が呑めねえからってひがむなっ。黒田武士はすぐに酔っちまうから役に立たねえってかっ!絶対に俺には勝てねえっ、もし俺に勝ったら好きなものをなんでもくれてやらぁっ。おいっ、聞いてんのか、母里(もり)友信よっ!」

 

   加藤清正じゃなく、母里(もり)友信?

 

これまた嫌な予感・・・。

                           (続く)

≪ 現代の駆け込み寺、もしくは御救小屋は、『保健センター』 ≫

     小説「死に場所」のあとがきにおいて、以下を記載を致しました。

 

まずは、公的機関もしくは、医師に相談されることをお勧めいたします。

 

 尚、いのちの電話は繋がりにくいため、
公共機関に相談された方が宜しいかと存じます。

 

 では、具体的(生活、会社、学校)において立ち行かない状況に陥り、

誰にも相談できない状況の時、どこへ相談すれば良いのか?

小説を書いた私も投げっぱなしでいる訳にもゆかず、もんもんと考えておりました。

 

 私は新宿区に在住という事もあり、新宿区役所に行ってみました。

 

まずは福祉課。

 

 私はダイレクトに質問しました。

 

「本人、家族を含め自殺の危険がある場合、どこへ相談すれば良いか?」

 

 これに対し、福祉課では様々なパンフレット等を用意して下さり、丁寧に説明した上で、

 

「保健センター」を推奨しました。

 

※注意点としては、「たらい回し」とは受け取らず、専門機関への案内ととらえて下さい。

 

 

  区役所からの案内を受け、先日、新宿区内の保健センターに電話連絡し、一個人として

施設概要の説明を受けたい旨を伝えました。

 

 嘱託の精神科の先生からも説明も受けられるとの事でしたので、予約の上御伺い致しました。

 

  (保健センターの概要のパンフレット)

 

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(写真の腕が悪く、見づらくて申し訳ありません)

 

 対応に当たって下さったのは、地域を担当する保健師の方、また、新宿区から嘱託された精神科の医師の方。

 

 保健センターは待合フロアーを囲む様に、およそ7つの個別相談室があります。

 

相談室はパーテーションで区切ったものではなく、

それぞれが壁に仕切られた完全個室。

プライバシーもしっかりと守ってくれる様式となっています。

 

 保健師の方の説明によりますと、

 

 保健センターは大きく分けて3つのサービス利用ができます。

 

①母子に関する相談

 

②こころの健康相談

 

③難病、高齢者の健康相談

 

このうち80%の利用は、②のこころの健康相談とお伺い致しました。

 

 

 午後2時。保健師精神科医の御二方による、保健センター及び自殺防止に関する質問に丁寧に御説明をして下さいました。

 

 精神科医を交えての説明では約1時間。

 

その後の保健師の方による説明は約30分。

 

計1時間30分。長時間にわたり、気さくにお話を聞くことができました。

 

 

 私は、「これまで保健センターというものを

知りませんでした」と保健師方に申し上げる

と、「申し訳ありません」と一般的な認知の低

さに責任を感じておられるようで、

なんとか社会的な認知度を高めるよう努力をな

さっている事もお伺いいたしました。

 

 いざ、精神科医の先生の目の前に座ると、私自身が精神鑑定をされている様な心地になり、要領を得た質問ができず、話は行ったり来たりとしてしまいました。

 

 ◎ 医学的専門知識は私は持ち合わせておりませんので、このブログでは、詳細を記載するのはひかえます。

 

 

 保健師の方、精神科医の方のお話を伺う中で、重要だと思った事をいくつか紹介したいと思います。

 

① うつ、統合失調症は、誰にでも発症する可能性があるという事。

 

② ①の発症の確率は、約100分の1。つまり100人に1人の確率。

 

③ 過重な労働、適合しない職場、学校から退職休職をせず、自殺に至ってしまうのは、本人が客観的な判断ができない状態に陥っており、周囲の人がその場から引き離す必要がある。

 

④ うつ等のこころの病は、風邪をひく様に誰にでも発症しうる。

  

( 嘱託の精神科の先生の元へ通う患者さんは、昔に比べ気軽に通院しているようです )

 

 

★ 重度なうつ等を発症している人に対し、「会社なんて辞めてしまえ」、「どうして、自殺なんかするんだ」もしくは「弱い人間だから逃げた」という考え方は間違いであり、

すでに脳の機能が低下しているという認識を持った方が良いようです。

 

御本人は正常な判断がつかないととらえ、周囲の協力が必要となります。

 

 家族、同じ職場の人で明らかに表情が乏しくなり、様子も変わり「周りに迷惑がかかる」「申し訳ない」等の言葉が増え、本人自ら退避する事を拒む時は、

 

家族は恥ずかしさやフライドを捨て、直接医師にかかる事でできない時は、保健センターに相談してみるのも選択の一つだと思います。

 

 状況により、訪問してくれる事もあるそうです。

 

繰り返しますが、うつは、風邪と同様、誰にもでもかかる可能性があります。

 

 

 家柄や役職等にかかわらず、辛い事は誰にでも、雨の日がある様に降り注ぐものです。

 

災難、不運はランダムに発生し、未来永劫安泰が約束されたものでありません。

 

プライドを捨て、まずは自身と家族を最優先に考えた方が良いと思いました

 

 

 以上が、保健センターに御伺いし、御丁寧に説明を受けた私個人の感想です。

 

人は誰一人として、同じ状況ではございませんので、あくまでも私個人の感想であることを繰り返します。

 

 

  個々の事例は千差万別ですので、まずは、足を運んでみる事をお勧め致します。

 

(印象としては、敷居はそれほど高くはありませんでした)

 

 

  

 日本全国、各市町村に保健センターがありますが、各地域によって、多少の違いがあるそうです。

 

生活に困った場合等も相談を受け付けているそうなので、気軽に相談できる場所であると存じます。

 

(※人と人との対応なので、合う合わないがあると思います。違うと思いましたら、すぐに別の機関に切り替える事も必要だと思います)

 

 

 SNSで知らない人に助けを求めるより、まずは、保健センターに相談してみる。

 

危機の時、選択肢が一つ増えた様な気がします。

 

 

 

 〈最後に・・・〉 

 

 江戸時代、幕府の行政機関に「御救小屋」があったことを小説において記述致しましたが、約180年の歳月を経た現在、一層社会は複雑になり、時代と共に行政はこの急速な変化に人々を守るため、日々対応を迫られています。

 

 

 世界は急速に接近し、働き方、学び方も多種多様になり、隣人は知らず、同じ日本人とも限りません。

 

 また、10年前の事はすでに50年も前の事であるかの様な、時の流れの速さに戸惑い、遅れないよう(既に遅れていますが・・・)私自身、もがいています。

 

 「こうすれば、絶対成功する!」

 

こんな魅力的な言葉をよく耳にしますが、個々人の状況、性格等は、これまた千差万別ですから、絶対などと言い切れず、1年後には消えてなくなるかもしれません。

 

正解と思っていたものが、明日には覆されているかもしれない流れの速さ。

 

 

 そんな明日をも知れぬ日々の中、新宿区で『保健センター』という行政機関があったを知ることができ、私自身わずかに安堵した様に思います。

 

 私もいつどうなるかなんてわかりません。

 

病気になるか事故に合うか、はたまた経済的に困窮するかもしれません。

 

(現在よりも更に・・・)

 

そんな時は、保健センター駆け込むでしょう。

 

 

 

 

 

 ※ 新宿区の保健師、嘱託の精神科医の方、私の要領をつかめない質問に懇切丁寧に、

しかも嫌な顔もせず、長時間ご対応頂き、感謝致します。

 

 

【 死に場所 】place of death ..last stage 全34節 【第2部】(34)最終節 読み時間 約10分

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  (歌川広重 東都三十六景 御茶ノ水

 

 (34)最終節

 仙蔵とおさよは、一年ぶりに二人きりになると、募る話が頭にひしめいて纏まらぬまま歩き出す。

仙蔵は何から話したらよいのか、切欠がつかめず「荷物が重そうですから、どれか持ちますよ」と振り返った。

「それほど重い物ではありませんから、お気遣いなく・・・」

「遠慮なんてしないで。三日後には共に伊勢に参るんですから、さあっ」

「共に参るのですから、わたしはわたしの荷を持って行かねばなりません。仙蔵さんの足手まといになりたくありません」

「そう意地を張らずに。おいらは身軽だから分けて歩けばいいじゃないですか。長屋まで一時はかかりますよ」

「意地なんて張ってません・・・」

おさよはちらりと仙蔵を見た後、遠く先に目を向けて歩き進める。

 

 坂を上り、御茶ノ水に出た所で、おさよが仙蔵に声をかける。

「卯之吉さんたちとお寄りなった、お茶屋さんってどこです?」

「それなら、もうすぐ行ったところですよ」

「寄っても宜しいですか?」

微笑むおさよに、仙蔵は「疲れましたか?」と問い返す。

「江戸に参ります道中で、卯之吉さんは色々とお世話を焼いてくれましたので・・・」

仙蔵は、まあいいかと茶屋を目指す。

 「あの茶屋です」

おさよは手鏡を帯の間から取り出すと、身なりを整えて茶屋に入った。

来る時に立ち寄った慎ましい女給が、仙蔵を見て微笑んだ。

「先程のお客さんですよね?」

「はい・・・」

 おさよは女給に声をかけると、二人で外へ出て行く。

仙蔵は店の中に取り残され、茶を啜って待つしかない。

しばらくすると、おさよと女給がけらけらと笑って戻ってきた。

仙蔵はなんだか仲睦ましい様子が気になる。

おさよが仙蔵の隣に腰掛けると、仙蔵は「何を話していたんですか?」と横顔を覗く。

お茶屋の女給同士の話です・・・」と、おさよは詳しいことを教えない。

「茶屋の女給というだけで、そんなに盛り上がるんですか?」

「女子同士の話です。仙蔵さんには分かりません・・・」

仙蔵は恐らく卯之吉に関する事だとは分かるが、それ以上は聞けず悶々として茶を啜る。

 すると、女給がおさよの元にやってきて、「さっきのお礼です。よかったら、これ飲んで下さい」と甘酒を二つ出してきた。

おさよはうれしそうに微笑む。

「ありがとう~っ」

仙蔵は何が何だか分からず、「お礼って何です?」とおさよに聞く。

「仙蔵饅頭をお分けしたんです」

「饅頭だけで、あの女給さんはあんなに嬉しそうにしているんですか?」

「仙蔵さん、それ以上聞くと野暮って言われますよ」

「なんですか、野暮って・・・」

「女子の話に余り首を突っ込むもんじゃありません」

おさよはすました顔して、甘酒を啜る。

なんだよ・・・と仙蔵がちらりとおさよに目をやると、女給と微笑み合っている。

仙蔵は甘酒を飲もうとするも熱くてなかなか飲めず、こっらにも悶々とする。

しばらく会話もない束の間、仙蔵は溜まらず口を開く。

「卯之吉さんの、」

「仙蔵さん、くどいですよ。女子の話です・・・」

おさよはすっぱりと仙蔵の言葉をさえぎった。

「今度はくどいって・・・分かりました、もう聞きませんよっ」

仙蔵は拗ねて立ち上がる。

「暗くなってもなんですから、そろそろ行きましょう」

おさよもすっと立ち上がり、女給に頭を下げると表まで見送って手を振っていた。

 仙蔵は気にしてないと「何を話したかなんて聞きませんよ。でも、卯之吉さんを笑い者にする事は止めてくださいね」とおさよに釘を刺した。

おさよもおさよで、「飛び上がって喜ぶんじゃないでしょうか」と仙蔵を追い越し、先に歩みを進めた。

負けてなるものかと、仙蔵はおさよを追い越し「案外、おさよさんは強情ですね」と少し意地悪く微笑んでみせた。

「意思が強いと仰って下さい。仙蔵さんを信じて待っていたんですから・・・」

おさよの真剣な眼差しに仙蔵の笑みは消え、足並みを揃えた。

「すみません、心配かけて・・・」

 

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     〈 江戸名所図絵 御茶ノ水 〉 

  おさよは足を止め往来に背を向け、神田上水を覗くように俯き涙を拭く。

「どれだけ心配したか・・・本当にご無事で良かった。年が明けたら来ると言って、春には桜を見ようとまで約束していたのに、急に信州に婿へ行くなんて事、誰が信じますか。きっとわたしが嫌いになることをしたんだと、おきつさんを問い詰めても、そうじゃないと首を振るばかりだったから、騒動の影響で捕まったんじゃないか。それとも、首謀者のお方の様に逃げなければならない事情があったんじゃないかと、ずっと心痛めておりました。お饅頭だって、噂が仙蔵さんの耳に届けばと作り続けていたら、名主に閉じ込められていただなんて。白沢様から聞かされてから、居ても立ってもおれませんでしたっ」

おさよは小さな手拭の隙間から仙蔵を見つめた。

「本当に心配で心配で・・・」

おさよは、力が抜けしゃがみ込む。

 仙蔵もしゃがみ、懐から初めて会った時にもらった若竹色の巾着を取り出す。

「これ、肌身離さす持っていました。少し汚れてしまいましたが」

おさよはちらりと自分がこしらえた巾着を見ると、再び手ぬぐいに顔をうずめた。

「でしたら、また新しいのを作って差し上げます・・・」

仙蔵は周囲の目を気にして「今度はどこへ行くにも一緒ですから。さあ」とおさよに呼びかけ、手を差し出す。

おさよは涙を拭い、泣き濡れた眼差しを仙蔵に向け、力なく手を伸ばす。

仙蔵はおさよの手をしっかりと握り、共に立ち上がる。

「では、参りましょう」

「はい・・・」

 

 三日後の天保八年十二月二十一日。

天気は良く、朝五つ(午前八時頃)に仙蔵とおさよは、長屋の大家・忠兵衛に挨拶をして出立する。

仙蔵は、近山左衛門尉から礼金、餞別を合わせて二十両。近山の家臣から一両、代官所の岡田より一分金、故郷の松次郎から一両等、合わせて二十五両程を携えていた。

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〈 江戸北町奉行所推定図「図説 江戸町奉行所辞典 」〉

 

 旅装束の二人が北町奉行所に到着したのは朝四つ(午前十時頃)。

訴訟人やらが詰め掛け、門前付近は人が並んでいた。

仙蔵は門番に、信一郎を呼んでもらう。

 正平、卯之吉、考助、伝造の四人がぞろぞろと姿を見せた。

「おうっ、仙蔵。それにおさよさんっ」

正平が手を上げて旅の門出を祝おうと声をかけた。

「その節は、大変有難うございました」

おさよも仙蔵に続いて礼を述べる。

卯之吉は、おさよの顔を見ると頬を赤らめ「おっ、おう・・・」と手を上げた。

「あの~っ・・・」

卯之吉はおさよに近づき、もみ上げの辺りをぼりぼりと掻いて目を逸らす。

「お七に、おらの事を褒めてくれたんだってね・・・」

「お七って誰?」

仙蔵は、おさよと卯之吉の双方に目を向けると、正平が「御茶ノ水の茶屋の女給だよ」と冷やかす様な笑みを浮かべた。

「あの女中さんが、お七さん・・・褒めたんですか?」

仙蔵がおさよの顔を覗くと「道中の荷物を持ってくれたり、新しい草履を用意してくれたりとお気遣い頂いたことを申し上げたまでです」と卯之吉に微笑んだ。

「良かったな」

正平が卯之吉の背中をどんと叩くと、「痛てっ」と言いながらもへらへらと照れている。

 後から、信一郎が現れ、でれでれと体を揺らす卯之吉を見つけた。

「お前はどこのわかめだっ、気持ち悪りい。おう、仙蔵におさよ」

「これはこれは、白沢様っ」

二人は改めて頭を下げる。

「卯之吉・・・またあの女の事を考えてやんのかっ。しゃきっとしろ」

仙蔵は、信一郎らに「これより、御伊勢に御蔭詣りに行って参ります・・・」と今一度頭を下げた。

信一郎は大きく頷くと、懐から紙包みを取り出した。

「餞別だ・・・大した額は入ってねえが」

仙蔵は信一郎から両手で受取り、「確かにお預かり致しました」と頭を垂れる。

正平たちも後に続き、「これは、おいら達四人からだ」と紙包みを渡す。

「皆様に代わって御参りしてまいりますっ」

仙蔵とおさよは、深く一礼をする。

 

 旅立ちの時。

仙蔵とおさよ。そして、信一郎らが見つめ合う中で、正平が進み出た。

「江戸に帰ってきたら、見せたいものがある」

「なんです?」

「芝居だ・・・。お前さんを見ていたら、なんだかもう一度やってみようかって気になったんだ」

仙蔵は喜んで正平に歩み寄る。

「この前、四谷追分稲荷に行った時、正平さんの舞台練習を思い出していたんですっ。良かったですね」

正平は首を傾げ、自信はなさそうだが望みに賭ける眼差しを仙蔵に向ける。

「ちょいとした脇役だけど、やってみるさ」

 信一郎は、仙蔵の肩に手を乗せ弾ませた。

「よしっ、御伊勢詣りの門出だっ。仙蔵、おさよ。二人でゆっくりと考えるがいいさ。故郷に戻るも良し、江戸で暮らすも良しだ。死に場所なんざ考えてもしょうがねえ。世の中は理不尽だ、良くも悪くも偶然の積み重ね。だったら、したい事に賭けたらいいさ。道中、困った事があったら、きっと番屋でも役所でも医者でもいいから助けを求めるんだぞ」

「はい・・・では、行って参りますっ」

仙蔵とおさよは、信一郎らに大きく手を振って、伊勢に旅出つ。

 

 白沢信一郎は、大きく手を振る。

「ありがとな~っ、おいらも崖が、死に場所なんて考げえねからよっ」

 

 

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      〈 伊勢参宮略図 〉

 

 

 

 

 

                                                                      (終)


 

 (参考文献)

 

      

 

 (参考website

 

〇 天保甲州郡内騒動の諸断面 

  藤村潤一郎氏 論文

〇 近世の巡礼者たち-往来手形と身分― 

  内田九州男氏 論文

〇 国立国会図書館デジタルライブラリー

  東京市史稿 市街扁38

〇 東京市史稿 救済扁3

〇 国学院大學メディア 手厚い“更正”施設

  松平定信の「人足寄場」

  法学部教授 高塩博氏

〇 小石川療養所の絵図を中心とした建築的

  史料の検討と復元的考察

  福濱嘉宏氏 論文

 


    (あとがき)

 

 この小説を書こうと思った切欠は、今年2019年2月のことでした。

著者自身、理不尽(悪い意味での)な環境と薄給により、今後の生活が立ち行かない危機感から会社を退職し、ハローワークへ通っていた時期でした。

人間は得てして、不安な時期が続くと焦り、金銭、精神的に追い詰められてしまいます。

 まず、過去の嫌な事を思い出す事が多くなります。そして、また同じような事が起こるのではないか?

辛い状況が続くのかと。

 すると、とりとめもなく、未来が絶望的に思えてきます。

とりあえず、アルバイトで食いつないでも生活は苦しいまま。

人生に意味はあるのか?とさえ考えてしまいます。

親族、友人等に申し訳ないという負い目・・・。

 

 そして、3月4月になると、自殺が多く取り上げられる時期となります。

増加傾向になる理由は、環境の変化に対するもの。または、気候の変化等とも言われておりますが、これはあくまでも統計的な傾向であって、全ての人に合致しません。

人間は動物と違い、もっと複雑な生活環境であり、個々人の抱える問題は千差万別で一くくりされるほど単純ではありません。

事例として類似することはあっても、育った環境が違うだけでも同一視することは危険な事です。

 

 人間は、母体で合成された瞬間から、理不尽と不条理が始まります。

(正確に言えば、その親となる男女の出会いから始まっており、望もうが望まなかろうが、生命が合成された時)

その後、赤ちゃんとなり、世界(社会)に無作為またはランダムに母体から放出されます。

良くも悪くも、生れ落ちた環境、遺伝子によって、性格、思考が形成されます。

そして、現状から未来を予測する傾向により、その後の人生に大きな影響を及ぼします。

 著者は、良くも悪くも、この理不尽で不条理な現状に対し、やみくもに「頑張る」とか反対に「どうせ無理だ」という憶測、または現状における慣性的予測傾向からの呪縛を自ら解放したくてなりませんでした。

 

 その結論が、人生は理不尽で不条理である一方、その逆も然り。幸運をありうる。

そして、偶然の瞬間の連続、その一瞬の積み重ねが築いてきた不確かな世界において、

人間は意識しようがしまいが、死への不安の中に漂う感覚は、本能として刻み込まれています。

 

 暗闇を歩く中で、人の声が聞こえれば、誰それかまわず安息を求めて導かれるように、富める者、瀕する者も、今現在の瞬間であって、永続的なものではなく、先の見えぬ不安に苛まれています。

 

 不遇の瞬間の連続的傾向を断ち切ろうと思い立った時から、新たな遇然が発生する可能性があります。

 丁か半か、どちらの目が出るかは分からないが、さいころは振り続けねばならない。

また、この世は、パチンコ玉の様に、どこにぶつかって、どの玉とぶつかって、どこに入るか分からない。

(パチンコ台の操作、いかさまをしていない状態を想定しております。※尚、パチンコを推奨している訳ではありません

 

 理不尽で不条理な、偶然の積み重ねの世界において、誰でも辛い事に遭遇します。

辛い時、助けを求める事は、なんら恥ずかしい事ではありません。

 時期が悪ければ、熊が冬眠するが如く伏すれば良く、一つの場所が駄目なら、また別の場所、人を探すしかないのでしょう。

著者自身、精神的な危機を経験し、その実証的見地から申し上げます。

 

 小林一茶は辞世の句で、「たらいから、たらいにうつる、ちんぷんかんぷん」と詠んでおります。

この句の意味をご存知の方は多いと思いますが、赤子を清める産湯のたらいで生を始め、遺骸を清める湯灌(ゆかん)のたらいで生を終える。

2つのたらいの間に自分の一生があったのだが、よく分からない。と詠っております。   

「死者のはたらきと江戸時代」深谷克己 著

 

 小林一茶の人生は、実に浮き沈みの激しい人生であったことが窺える句であると存じます。

 

 最後に、誰かが有頂天になっている姿を目にし、

「なんであの野郎がっ!あの女がっ!」と憤りの感情が湧き上がった時、世界は理不尽、不条理である事を怒りという感情をもって認識することになります。

「世界は理不尽(道理が通らぬ状況)で、不条理(ランダム、無作為)な状況にある。

つまり、好転の可能性は誰にでもあり、世が滅茶苦茶であればあるほど、自らにもチャンスがある」

そして、辛い時は、恥ずかしがらずに助けを求める。

 人間は、誰もが死への不安に晒されています。

必然的に相互扶助をしなければならないのですから、助ける側の人間もいつ助けられる立場に変化するか分かりません。

 ですから、互いに持ちつ持たれつ、支え合っているのでしょう。

 

多勢に無勢。もしくは、孤立無援である時

 その場からすぐに撤退し、冷静になってから

 態勢を整えて下さい。

 

 尚、一人で数人、もしくは組織からの迫害、集団暴行(いじめ)等に立ち向かえる方は、この限りではありません。

 

◎ まずは、公的機関もしくは、医師に相談

  されることをお勧めいたします。

 

  全く見知らぬ他人に助けを求める前に。

 

 

 最後まで、御拝読頂きありがとうございます。

もし、何かのヒントになりえましたら、木戸銭としてamazonの同名小説「死に場所」をお買い上げ頂けますと私も助かります。

 

 また、現在大変な状況にある方は、いつか落ち着いた時でもかまいません。

 

  そこだけが世界の全てではありません。

私は、現在の延長で未来を予測しないよう心がけております。

 

コメント等を頂けますと、私も元気になり嬉しく存じます。

                                                                            

                                                    紺野 総二

 

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【 死に場所 】place of death 全34節 【第2部】(33) 読み時間 約14分

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   (33)

 渋々、仙蔵は寺の門を潜る。

年始めは寺も檀家廻りがあったりするから、その手伝いじゃないだろうかと足取りは重い。

 信一郎に御救小屋に連れて行かれた後、唐突に働いたらどうだと言った事から、もしかしたら出家を促されるのかと、益々、仙蔵は嫌な予感に囚われ頭が混乱する。

今度は、小坊主。ありうる・・・。

仙蔵は踵を返し、身を縮めて門を出ようとした。

 

 「おいっ、仙蔵。どこへ行くっ」

正平と卯之吉が戻って来て、背を向ける仙蔵に声をかけた。

「あっ、ちょっと厠へ・・・」

「だったら、寺のを使えばいいじゃねえか。そこらは武家屋敷だから小便はならねえ」

卯之吉は「白沢様だけじゃねえから、早くしろっ」と袖を引っ張る。

「えっ、白沢様だけじゃないんですか?」

正平は頷いて、「ああっ、こんな事は滅多にない。大層御偉い方がお前さんに会いたいと御越しになられる。病人らに鴨鍋を振舞った事をえらく感心していたようだ」と微笑む。

 仙蔵の妄想は更に膨らむ。

伊勢参りが、今度は御仏(みほとけ)か?

全国行脚の巡礼の旅のお供をする事になるのか?随行する者として適当な人物かどうかを見定めるつもりかもしれない。

どこまで行かされるんだ、北か。今は寒いから、南か・・・。

 「早く来いよっ」

正平と卯之吉に両脇を抱えられて寺の玄関に入ると、高僧らしき中年の人物が出迎えた。

「遠いところ、よく来てくださった」

脇から小坊主が足洗い桶を持って来て、仙蔵は取り囲まれてしまった。

駄目だ・・・。

仕方なく玄関に腰掛け、「自分で洗います・・・」と上がりたくないばかりにゆっくりと足の一本一本、指の間も洗う。

仙蔵は心の内で、おいらは、鳥や魚を散々殺生してきたからと断ればいい・・・。

 

 奥の方から、誰かが近づいてくる足音し振り返ると、信一郎だった。

「正平、卯之吉、遅いぞっ。先程、到着なされてお待ちになっておるっ」

「申し訳ありません、道に迷ってしまいまして・・・」

卯之吉が言い訳をして、頭を下げている。

 信一郎の井出達に目を向けると、羽織袴でまるで別人の様に改まって凛々しい。

「白沢様・・・どうなされたんです、そのお姿は」

信一郎も緊張しているらしく、妙にそわそわとして落ち着かず、仙蔵にも言葉が荒い。

「どうもこうもねえっ、この様な姿でなければ御目通りできぬお方だ。早くしろっ」

よっぽどの高僧なのか・・・

まあ、どうせ死のうとしたこの身。御伊勢参りも出来ず、松次郎にも顔向け出来ずにいた。故郷に帰ることもままならず、江戸でも望みもなく一人寂しく日雇い仕事が続くより遥かに良いかもしれない。

僧侶になれば、松さんの子供らの供養もできるし、村にも立ち寄れる。

一石二鳥とお考えか・・・。

「分かりました、白沢様の仰せのままに致します」

「だったら、早く来いっ」

信一郎に急かされ、仙蔵は足を拭き後に続く。

 高僧を先頭に、信一郎の後に続く。仙蔵は奥座敷を案内されると、廊下に正座する様に告げられる。

信一郎が廊下に平伏し、座敷に声をかける。

「ただいま、仙蔵を御連れ致しました」

奥座敷の襖が内側から開かれると、「入るが良い」と御目通りの許しが出た。

信一郎が深々と礼をしてから入室。襖の脇から、廊下に控える仙蔵に「入れ」と小声で促した。

仙蔵も平伏し入室するや否や、上座に向かってそのまま平伏した。

「せっ、仙蔵と申します」

上座に控える侍から「まもなく参られるから控えるがよい」と申し渡される。

何が何やら分からぬまま、仙蔵は信一郎の指示で座敷の一番後ろの畳に座らされ、

その前に信一郎が平伏する。

慌てて、仙蔵も平伏する。

 

 すっと襖が開く音が消えると、「上様の御成りである」と声が聞こえ、仙蔵はただただ身を低くし、額を手の甲に押し付けた。

「白沢、面を上げいっ」

「ははっ」と信一郎は低い声を響かせた。

「後ろに控えるのが、仙蔵か?」

「はっ」

「仙蔵、面を上げい」

仙蔵はいつ頭を上げるべきか計りかねていると、信一郎が小声をかけた。

「仙蔵っ、頭を上げろっ」

どきまぎしながら仙蔵は頭をさっと上げる。

上座には高僧ではなく、身なりの正しい四十代の武家が座っている。

 脇に控える家臣らしき人物が、「仙蔵、前へ」と促す。

どこまで前に進み出れば良いのか分からずにいると、信一郎が廊下側に避けて、自分の隣に座るように指差した。

仙蔵は言われるがまま、ゆっくりと膝を前に進め、再び平伏した。

「面を上げて良い」

仙蔵は上目遣いで上座の武士をちらりと見るが、再び目を伏せる。

「こちらに、御座(おわせ)せられる御方は、作事奉行・近山左衛門尉様である・・・」

信一郎が、仙蔵に紹介すると今一度平伏する。

 どうなんっているんだ・・・。

仙蔵は訳が分からず、村に返されるか何か咎めを受けるかと怯え、ただただ平伏を続けた。

「頭を上げてよいぞ、仙蔵」

 近山左衛門尉は、穏やかな口調で呼びかけた。

恐る恐る仙蔵が顔を上げると、近山は微笑み「急な事で済まなかった」と気さくに労う。

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     (「復讐高田馬場」イメージ )

仙蔵は再び平伏する。

「勿体ない御言葉ですっ」

「ところで仙蔵。まずは、熊の胆を譲ってもらった事、礼を申す」

仙蔵ははっとして顔を上げると、この御方が痔だったのかと、近山の顔を見入った。

「あれほどの極上品、江戸ではなかなか手に入らぬ故・・・体調も次第に良くなってきておる」

近山は、信一郎と目が合うと咳払いをした。

仙蔵は「御役に立てて何よりでございます」と平伏した。

「この度は、余の方がそちに礼を申す立場であるから、そんなに畏まらんで宜しい。寒かったであろう、茶でも呑んでくつろいでくれ」

 近山は廊下側に顔を向けると、控えていた家臣が部屋から出て行った。

その間に、近山は仙蔵に語りかける。

「白沢より、お主が江戸に出てきた経緯(いきさつ)を全て聞いた。誠、世は理不尽であると思うところである。余の御家も複雑で、若い時分にやけになって、一時は屋敷を飛び出して町場の博徒の家に転がり込んで放蕩していた頃もあった。しかし、分からんもので、色々とありながらも作事奉行を仰せ付けられる様になった・・・」

 仙蔵は作事奉行と今一度聞き、「はっ、はいっ」と平伏した。

「そんなに硬くならずともよい。自慢する為に申した訳ではない。何が言いたいかと言うと、全ては偶然だって事だ。たまたま今の御役目を仰せつかっているに過ぎんという事。全ては、天地人がそろわねば難しい。のう、白沢?」

近山の問いかけに信一郎は「はっ」と一礼をした。

 廊下から「茶の支度が出来ました」と声がかかり、近山が内に控える家臣に頷くと、襖が開かれた。

家臣と僧侶が、近山、白沢、仙蔵にそれぞれ膳に乗せられた煎茶と菓子を配膳する。

近山は仙蔵に微笑んで「その饅頭は美味いから食べてみるがよい」と勧めた。

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( 新版御府内流行名物案内双六 イメージ )
 

 緊張する仙蔵は、一旦、信一郎に目を向けた。

信一郎が頷くのを見て、仙蔵は一口食してみる。

蕎麦の香りが広がり、中の餡の甘みに仙蔵は笑みを浮かべた。

「これは蕎麦饅頭でございますね」

「そうだ。お主と白沢の出会いが蕎麦屋だという事も聞いておる」

近山も一口食べて、うんうんと笑みを浮かべた。

「ところで、先程、天地人と申したが・・・その意味、分かるか?」

仙蔵は口の中の饅頭を飲み込んでから返事をする。

「いえ、存じ上げません」

「この世の成り立ちは、天地人で出来ておるという。天は空であり、時節、時期。地はいわずと知れた大地。場所、取り巻く状況。人は、我ら人間の事。救うも痛めつけるも人間。その人間同士の関わりだと申す。つまり、この三つがそろわねば、なかなか事が進まん。どんなに時期が良くても、状況が悪かったり、回りの人間に恵まれなかったりすると、事は上手くは運ばん・・・」

「はい」と仙蔵は近山の言葉に聞き入った。

 近山はちらりと信一郎に目を向けると、再び仙蔵に語りかける。

「お主は、余の若い時分と少し似ておると思ってな。災いは思いがけないところからやって来る。お主は名主に嫌われ爪弾きに遭い、村を出る事になり、村の者から餞別として熊の胆を渡されたと聞く」

 仙蔵は膳から下がって平伏した。

「おっ、恐れながら、お願いの儀がございますっ」

「なんだ、申してみよ」

「熊の胆を持たせてくれました圭助と申す者は、借財があり大変苦しい生活をしておりますっ。上様に御献上致しました物が極上品なれば、わずかでもかまいませんので、圭助に幾ばくか宛がって頂きたく存じますっ」

仙蔵は手打ちになる恐れを抱きながら平伏を続けた。

 

 近山は、信一郎を見定め、静かに頷く。

「これを預かってきた・・・」

仙蔵が顔を上げると、信一郎が脇から手紙を二通すっと滑らせた。

「読んでみろ・・・」

 一通は、故郷の松次郎からで、白沢様が御新造様を御連れになり、江戸での仙蔵の様子を聞いたと書いてある。

伊勢参りは、村を出る方便だから気にせず元気であればよい。息災に暮らせよと認めてあった。

「白沢様が御新造様をお連れに・・・」との文言を見て、仙蔵は「えっ」と声を漏らし、信一郎を見つめた。

「しっ、白沢様、私の村に参られたのですかっ!?」

信一郎は照れ臭そうに、「身延(みのぶ)詣りのついでだ・・・もう一通あるだろう。読んでみろ」と惚けた。

 仙蔵は残りの手紙を開くと、瞬時に手紙を閉じたくなるような汚い字が蛇の様に縦にうねり並んでいた。目を細め、ぐっと顔を近づけ解読を試みると圭助からだった。

 

 仙蔵、元気ですか。

有難い事に、白沢様が熊の胆の代金と仰って三十両をお届け下さいました。

仙蔵がどうしてもおらに渡して欲しいと、白沢様にお頼みしてくれたことも聞きました。本当にありがとう。これで猪吉さんに借金を返して自由になれます。

女房のおきつと子供は、相変わらず元気です。

仙蔵、またいつか会いたい。会ってお礼を言いたいです。

圭助、おきつ。

 

 仙蔵は手紙を読み終えると、信一郎に平伏した。

「わざわざ遠い御道中を・・・誠に、誠にありがとうございますっ」

仙蔵はやっと肩の荷が下りたと、顔を伏せたまま大きな安堵の息を吐いた。

「お主は、この世は理不尽で、生きる望みもないと申しておるそうだな」

仙蔵は近山に問われ、顔を上げた。

「先々の事を考えますと・・・」

 近山は立ち上がり、仙蔵に近づいた。

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( 日本風俗図会10輯 イメージ )

 

「何故、この白沢信一郎が、わざわざ甲州のお主の村まで行き、熊の胆の代金を渡したか分かるか?」

仙蔵は目の前に立つ近山を見上げると、すぐに平伏した。

「申し訳ございませんが、私には見当もつきません・・・」

「白沢はな、余にこう申した。『世上は理不尽で、生れ落ちた身分も環境も選べない。この天保の世で災難、人災が偶然重なった結果、多くの民が死に至った。だが、道理が通らず滅茶苦茶で、無作為の偶然が集積した世は、時として、幸福をもたらす』と・・・。それが、お主の熊の胆であり、余の体調の改善にもつながった。つまり、理不尽の世は、逆もしかりとも言える。そして、白沢は神に奇跡を祈るだけでなく、自らも義を尽くさねば、神様にも不敬だと、お主の村の者に熊の胆の代金を届けたいと名乗り出た。己も行動せねばならんとな・・・」

 仙蔵はゆっくりと近山の顔を見上げた後、信一郎にも平伏した。

「私の様な者の為に、誠に、誠にありがとうございますっ」

信一郎はふっと微笑む。

「お前さんに借りができたからな。それに、近山様は私の借金を全て返済して下さった。それだって、仙蔵の村に行くって言ったからだ」

 近山は仙蔵の前にしゃがんで顔を覗き込む。

「余は、相手が誰であれ、恩に報い約束を守ると言った白沢の心意気が気に入った。いずれ、この白沢を家臣に迎えたいと考えた。それには、借金があっては困るのでな・・・」

信一郎は近山に一礼をする。

「誠に、有難き御取り計らい、恐れ入るばかりでございます。仙蔵、私の方こそ礼を言う。有難う・・・」

信一郎が仙蔵に頭を下げる姿に、仙蔵は慌てて止めに入った。

「白沢様っ、おやめになって下さいっ。勿体無い事でございますっ」

近山はその場に正座し、仙蔵を見つめる。

「仙蔵、世は時として、誠に残酷この上ない。それも往来で人と人がすれ違う様に、災難や幸運に遭遇する。ただの偶然というだけで理由もない事ばかりだ。理不尽で無作為の偶然が折り重なる世であるからこそ、人間は先が見えず不安であると思う。何故、助け合いが必要かと申せば、世上が理不尽であるから、いつ誰がどうなるかも分かん。栄華を極める者、その日暮しの者も、良くも悪くも明日の事など分からんからだ。仙蔵、お主に頼みがある・・・」

 仙蔵は近山に顔を向け「いかなる事でございましょう」と再び平伏する。

「余の代理として、御伊勢詣りに行ってはくれぬか?」

仙蔵は、はっと顔を上げた。

「おっ、御伊勢でございますか・・・」

「左様。生きる望みもないと申す、お主に是非頼みたい」

仙蔵は断る訳にもいかないが躊躇い、言葉を詰まらせた。

 近山は押し黙る仙蔵の前から立ち上がり、家臣に頷く。

その意を汲んだ家臣は、座敷から姿を消した。

「そこで、お主と共に伊勢に参る者を用意した・・・」

仙蔵は近山と信一郎の顔を見入った。

「どなたでございましょうか?」

信一郎はにやりと微笑む。

「一人じゃ寂しかろうと思ってな」

「卯之吉さんですか?」

信一郎は厳しく眉間に皺を寄せた。

「なんで卯之吉なんだっ。あいつはお前さんの村に連れてったから行かん」

 

 近山の家臣が廊下から声をかけた。

「お連れ致しました」

「暫し待て。ところで、仙蔵、先程の蕎麦饅頭をまた食いたいか?」

仙蔵は平伏する。

「大変美味しゅうございました」

「その饅頭を作った者と一緒に参れ」

仙蔵は、今度は饅頭職人かと首を捻り、ぽかんとした面持ちで、近山に見入る。

「入れ・・・」

 

 襖が開かれると、近山の家臣の隣に平伏した女子が廊下に座っていた。

仙蔵ははっとする。あの紺色の着物。

顔を上げた瞬間、仙蔵は声を発した。

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( 日本風俗図会10輯 イメージ )

 

 「おっ、おさよさん・・・おさよさんなのかっ?どっ、どうしてっ!」

仙蔵は信一郎と近山の顔を交互に落ち着きなく目をくるくると動かした。

信一郎は、おさよに「こちらへ参れ」と呼び、仙蔵の隣に座らせた。

「あの蕎麦饅頭は、このおさよが作った。その蕎麦の生地はどこのだと思う?」

再び、信一郎は微笑む。

「まさか・・・村のですか?」

「ああっ、お前さんが戸隠から買ってきた蕎麦の実が、村で多く実ったそうだ。良かったな・・・」

仙蔵はおさよを見て、また、信一郎、近山を見上げて頭を畳に押し付けた。

「ありがとうございますっ」

「仙蔵さん、全て白沢様からお伺いしました・・・御苦労なさいましたね」

その言葉に仙蔵は顔を上げると、おさよが微笑んでいる。

仙蔵は嬉しくなって再び畳に顔を押し付け、押し殺した感情が溢れ、涙が溢れてしまう。

「おさよさんっ、すまねえっ。嘘ついてすまねえっ!」

「いいんです、分かっていますよ。どうしようもなかったんですよね。仙蔵さんが婿に行くって聞かされた時、すぐに嘘だと思いました。なにか事情があったんだと・・・だから、うちの笹子屋の饅頭が評判になれば、いつか仙蔵さんの耳に入るんじゃないかと思って。蕎麦粉をおきつさんから貰って、この饅頭を仙蔵饅頭って付けたんです・・・」

仙蔵は手拭で涙をふき、顔を上げた。

「仙蔵饅頭?」

「はい・・・」

 信一郎は「驚いたぜ」と微笑む。

「おいらの妻が、偶然、栗原宿で休みてえって言ったんだ。それで、笹子屋に入ったら、蕎麦粉で作った仙蔵饅頭はいかがですかって、このおさよが勧めてきた。甲州で仙蔵って言うもんだから、どういう訳か聞いたら、お前さんの事だって言うじゃねえか。卯之吉なんて、ばくばく食って、お前さんがうらやましいって言ってたぐれえだ」

「はあっ、それで・・・」

「なんだい、それでって」

信一郎はいぶかしんで仙蔵を見つめる。

「先程、こちらに参ります道中、やけに卯之吉さんが張り切っておられるだけでなく、食欲も旺盛だったもので」

「卯之吉の奴、おさよみたいな綺麗な嫁さんもらうんだって、急に心に決めたらしくてな。つい最近、御茶ノ水の茶屋の娘に一目ぼれしたって相談されたよ」

仙蔵ははっとして「あっ、来る時、寄った店だっ」と鼻を啜って信一郎を見つめた。

「見たのかい?」

「はい、慎ましい感じの女給さんでした」

「ああっ、多分その女だ・・・でも、おさよには負けるだろうがね」

おさよは顔を赤らめて俯き、信一郎は少し意地悪く仙蔵に流し目で見やる。

 

 「募る話もあるだろうが、余もこれから行かねばならぬ所がある。仙蔵、此度の一件、改めて礼を言う」

近山が立ち上がると、仙蔵は平伏し「私などは何もしておりません」と申し上げる。

「いや、熊の胆の一件、そして、稀にみる好漢を引き合わせてくれた。これも理不尽であるが故の偶然の幸運。仙蔵、伊勢に行ってくれるな?」

近山左衛門尉の言葉に圧倒された仙蔵は、おさよと信一郎に目を向ける。

即答しない仙蔵に、信一郎は「まだ、生きる望みがねえとでも言うのかっ?」と苛立つ。

「いえっ、滅相もございません。いいんですか、おさよさん?」

「もちろんです、その為に白沢様に連れてきてもらったんですから」

近山も痺れを切らして、難渋な皺を寄せる。

「行ってくれるなっ?」

「はいっ、必ずや代参致しますっ」

「ならば、此度の礼金と伊勢に参る餞別を後で受取るが良い。では、江戸に戻ってきたら報告を待っておる」

そう言い残して、近山は座敷を後にした。

「有難き幸せに御座いますっ」

信一郎、仙蔵、おさよは深く平伏する。

 

 三人が顔を上げると、再び近山が戻ってきた。

「一つ言い忘れた事がある。理不尽な状況が続く時は、そこから離れろ。不幸や不遇の連続を止めるには、余が屋敷を飛び出した様に新たな偶然を求めるしかない。伊勢に参って、二人で今後の事をよくよく考えるが良い。達者でな・・・」

そう言い残すと、近山左衛門尉は去って行った。

 その後、近山の家臣が進み出る。

信一郎、仙蔵、おさよが平伏すると、「こちらが此度の礼金。そして、こちらが、伊勢参りの餞別でござる・・・」と服紗包みを二つ差し出す。

仙蔵は今一度平伏する。

「有難き幸せにございます。きっと御伊勢に代参してまいります」

「ならば・・・」と家臣が懐から包みを出して、二つの包みの隣にそっと置く。

仙蔵は更なる包みに目を向け、家臣を見上げた。

「拙者は高田五郎衛門と申す。わずかではあるが餞別だ。帰ってきたら話を聞かせてくれ」

そう言うと、高田も立ち上がり近山の後を追った。

「はいっ、必ずや御報告申し上げますっ」

仙蔵は、近山と高田の心遣いに敬服し、信一郎とおさよの義理堅さに心から平伏する。

信一郎によってもたらされた奇跡によって、おさよとも再会することができた。

孤独と辛苦に耐え忍んだ一年の思いが溢れ涙が滴り落ちる。

 

 代山寺を後にした、仙蔵とおさよ。そして、信一郎らは、ここで別れることになった。

「おいら達は役所に戻らねえといけねえ・・・」

仙蔵は深く信一郎に頭を下げる。

「本当に有難うございますっ。遠い私の故郷まで足をお運びになられただけでなく、おさよさんまでお連れ頂いて、感謝してもしきれません」

「良いって事よっ、おいらだってお前さんの御蔭で、いずれ近山様に御取立て頂ける事になったんだ。こんな事は滅多にあることじゃねえ、富くじが当たる様な奇跡だ。足軽身分の同心が取り立てられることなんて道理が通らねえ。だから、役所の連中に知れたら理不尽だと、今度はおいらが言われるに違げえねえさ」

信一郎は照れ臭そうに微笑む。

正平も信一郎の話に喜び、仙蔵とおさよに「いつ、出立するんだい?」と聞く。

 仙蔵は少し考え、おさよを見つめてから、信一郎と正平、卯之吉に頭を下げる。

「できれば、正月の初め辺りに、御伊勢で参詣できればと思います」

卯之吉は少し驚いて、「伊勢まで十五六日はかかるから、すぐにでも出立しねえといけませんね?」と信一郎に意見を求める。

「ああっ、そうだな。さみいから春でもいいんじゃねえのか?」

仙蔵は「いえ、思い立ったが吉日でござますので、三日後に出立致します」と旅立ちの日を決めた。

「それなら見送りに行ってやる。長屋から品川へ下って東海道か?」

信一郎は腕を組んで仙蔵の顔を覗き込む。

「とんでもございません、御多忙であるのに御見送りなんて申し訳ございません。私の方から町奉行所の方へ御挨拶致しましてから出立致しとうございます」

「そうかい。なら三日後、北町奉行所へ寄ってくれ」

「はい、では御伺い致します」

信一郎たちは町奉行所へ、そして、仙蔵とおさよは来た道を辿る。

 

 

         最終節(34)へ続く。

【 死に場所 】place of death 全34節 【第2部】(32) 読み時間 約12分

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     〈東京都水道歴史館〉

  

  (32)

 翌朝早く、仙蔵は目が覚めた。御救小屋に行かねばと身を起こしてみたが、もう出かける必要がないと知る・・・。

喉が渇き、台所へ行って水を飲みながら、立て付けの悪い戸を開けた。

外はまだ薄暗く、雪がちらりと降っている。改めて寒さを実感するとぶるっと身が震え、腕を擦る。御勤めがなくなり、もうすぐ年が明けると頭を過ぎる。これからどうすべきか不安になり戸を閉めた。

 布団を体に巻きつけて、岡田に貰った給金と餞別の包みを開けてみる。

給金は一分金。餞別も一分金と驚きながら、当分の生活は大丈夫だと胸を撫で下ろすが、伊勢に参らねばならない義務も生じ、気力も沸かず頭を抱えてしまう。

気を紛らわそうと、要三が書いた家の間取り図を手に取った。

これはこれで有難い事なのだか、仙蔵自身、次にどうするのか望みもない。頑張る糧も失われ、悩みの種は尽きることがない。視界に触れない様に荷物入れに仕舞い、果てる様に寝転ぶ。

 再び喉が乾き目を覚ます。水を飲んだついでに戸を開けると雪は止み、厚い雲の奥からうっすらと陽の痕跡がぼやりと明るい。

もう昼か・・・。

腹は空いてきたが、飯を煮炊きする気力がない。

長屋にいても寒いだけだと、どてらを着込み表の井戸水で顔を洗い袖で拭く。

 どんよりとした空の下、仙蔵は金が入った荷物を持って内藤新宿へと向かう。

年の瀬で、秩父往還の往来も忙しない。

懐に手を入れぶらりと歩き、四谷追分稲荷に差し掛かる。

いつか、正平さんと卯之吉さんが、この神社の舞台で稽古をしていたっけ・・・

仙蔵は、二人がいるのではと鳥居を潜り、境内を見渡すが人っ子一人おらず、静まり返った本殿に手を合わせる。寂しさに駆られると食欲も失い、そのまま臨時番屋に向かう。

 

 こんこんと番屋の戸を叩くと、ごとごとと中から音がして、「誰だい、開いているよ」と返事が返ってきた。

仙蔵は岡っ引きの誰だろうと、思い浮かべてながら嬉しくなって中に入った。

「あれっ・・・」

中にいたのは老人で、片付けの最中といった風だった。

「どうしたんだい?」

仙蔵は初めて見る顔に戸惑いながら、「あの~っ、同心の白沢様と部下の方々はいらっしゃいますか?」と老人を見つめた。

「白沢様達なら、ここでの御勤めを終えて町奉行所に戻った。ここは元々水番屋の建物で臨時に使っていただけだから、もう引き払ったよ」

仙蔵は納得できず、再度老人に問いかける。

「じゃあ、もうここには白沢様達はいらっしゃらないんですか?」

「御救小屋も取り壊しとなったから、町会所掛りで時々来るかもしれんが、管轄が違うから、わしにゃよく分からん」

仙蔵は老人に頭を下げて、番屋の戸を閉めた。

行く当てを失い、大木戸から宿場を出て、人気のない川辺の流れに目を落とす。

春の様に長居も出来ず寒さが身に染みると、握り飯を買って長屋に戻る。

 信一郎はまた来ると言ったが番屋も取り払われ、自身の寂しさに目が向いてしまう。

正平や卯之吉らの顔も思い浮かんでくる。

正平は、いつかまた舞台役者に戻りたいと願うが、背負いすぎて声が出なくなったと言っていた。

いつか、見てみたいな・・・。

 

 翌日も何もする気も起こらず、ただごろごろと布団の上で気鬱なまま過ごす。

うとうとしていると、戸を叩く音に目を覚ます。

もう一度、こんこんと戸を叩くので、仙蔵は気だるい声を上げた。

「勝手に入ってくれ」

がらりと戸が開かれると、大家の忠兵衛が立っていた。

仙蔵は重い体を起こす。

「入っていいかい?」

「どうぞ」

仙蔵は座布団を衝立の裏から持ち出すと、「いいよ、いいよ」と忠兵衛は断った。

「どうなさったんです?」

「仙蔵さん、どぶさらいを手伝ってくれんかね」

「はっ?」

「だから、今から長屋のどぶさらいを皆でするんだよ。手伝っておくれ」

仙蔵は頷き、「分かりました、今行きます」と立ち上がった。

 古びた長屋は六世帯で、妻子持ちや独り者が寄せ集まって暮らしている。

日中、男は働きに出る者が多く、三人の女と仙蔵ともう一人の男が出てきた。

どぶさらいと言っても、井戸水なんかの排水の溝に溜まった泥などを掬うだけで造作もないが、体が重い仙蔵には少々苦痛だった。

 忠兵衛に鍬(くわ)を渡され、仙蔵は泥を掻き出し、大きな笊(ざる)に入れた。

もう一人の男が天秤棒を担いで捨てに行く。これを交代で行う。

女衆は掃き清めたり、厠の掃除に精を出す。

さほど時間もかからず作業を終えると、忠兵衛が「ご苦労さん」と声をかけて散会となった。

 それから二、三日何もする気になれず、ふらりと釣竿かついで、熊野十二社脇の溜池に糸を垂れる。

寒さに凍えながら、一時も辛抱してやっと小さな鯉が釣れた。

ああっ、そうだ。勝吾郎さんの所へでも行こうかな。でも、この鯉じゃ土産にもならないか・・・。

勝吾郎の奥さんが熱を出していると聞いたから、仙蔵はもっと大きな鯉を持って見舞いの品にしようと更に意気込んでみるが、時間ばかりを費やし、がたがたと震えて日が暮れてしまった。

 翌日も、仙蔵は大物の鯉を狙って釣りに出かけるが、小さな鮒が二匹連れるぐらいで、人に持っていく様な代物とは言いがたく、持ち帰るのも面倒で逃がしてしまう。

 

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 三日連続、仙蔵は釣りにでかけようと支度をしていると戸を叩く音がした。

再び、大家の忠兵衛ががらりと入ってきて、仙蔵のつり道具が目に入る。

「仙蔵さん、御勤めが終わってから仕事は決まったかい?」

唐突に言われ、仙蔵は嫌な事を思い出させるなと、どんと気分が落ち込む。

あからさまに不機嫌な態度もできず、「年の瀬ですし、どうしようかと考えておりました」とはぐらかす。

忠兵衛は腕を擦りながら、「良かったら、日雇いの仕事でも紹介しようか?」と気にかける。

また、望みもなく日雇いの仕事を終え、くたくたになって一人帰る姿を思い描くと、とても戻る気になれない。

時々、なんの為に働いているのか。そしてまた、生き長らえてもなんの楽しみも見出せず、この生活がずっと続くと思うとやりきれなくなっていた日々が思い出される。

「仙蔵さん、どうした具合でも悪いのか?」

反応がないと忠兵衛は心配して声をかけた。

「まあ、ちょっとだるくて・・・」

 忠兵衛は大家だから、仕事をしていない店子は、家賃を滞納する心配もあるのだろうと、仙蔵は勘ぐって先周りした。

「この間いらっしゃった、同心の白沢様が御勤めが終わっても待っていろと仰ったので・・・」

忠兵衛はうなづくと「お前さんを信用しているから、何か困った事があったら相談しておくれ。力になるよ」と言って出て行った。

仙蔵はいらぬ勘繰りに、自分が一番気にしている事なんだと気づくと、なんだか大家さんに悪い事をしたように思えて気分が悪くなり釣り竿を持って外へ出た。

 その後、仙蔵にしては珍しく一匹も釣れず、これまた肩を落として長屋に戻る。

なんとしても大物とまで行かなくとも、中くらいのものを持っていかねば、勝吾郎に会えないと半ばむきになってきた。

 

 翌日は寝過ごし、夕方にでも、場所を変えてみようと小麦粉と米粒を練り合わせていた。

昼頃、また戸が叩かれた。

忠兵衛が仕事の話を持って来たのかと、仙蔵は仕方なしに愛想良く「はいはい」と粉を払って戸を開けると、正平と卯之吉が立っていた。

 仙蔵は驚いて「えっ」と目を見開き、声を上げる。

「ようっ、久しぶりだなっ」

二人は息を切らせながら手を上げた。

「どうなさったんです?この前、大木戸の番屋に参りましたが、もう取払いだって聞いたものですから」

卯之吉はがらがら声で「喉が渇いた・・・」と疲れた様子。

「どうぞ、中へお入り下さい」

仙蔵は茶碗に水を入れて卯之吉に渡し、続いて正平にも渡すと座布団を用意する。

淡路町から来た・・・」

急いで来たらしく、正平は上がり端に腰掛け「もう一杯水をくれ」と茶碗を差し出すと、卯之吉も「おいらにも」と茶碗を出す。

「随分とお疲れのようですが、どうかしたんですか?」

卯之吉が水を一気に飲み干す。

「白沢様がお呼びだっ」

正平は「まさか、こんなに迷うとは思わなかったよ」と時間を気にして言った。

「お急ぎでしょうか?」

「ああっ、おめえさんを早く連れて来いってな。ちょいとばかし休ませてもらってから行くぞっ」

卯之吉は厠へ行きたいと言い、仙蔵は案内する。その間、正平は草履を履いたまま、土間に足を投げ出して大の字に寝転んだ。

仙蔵は寒かろうと湯を沸かし、茶を飲んでから出立する事になった。

支度をしながら、仙蔵は二人に急ぐ訳を聞くと、卯之吉は「正平が近道だなんて言うから、間違ったんだ」と愚痴を零した。

「そんな事言ったって、卯之きっつぁんだって付いて来たじゃねえかっ」

正平も反論する。

大人しかった卯之吉が文句を言うことに、仙蔵は少々戸惑いながら「まあまあ」と二人を宥めている内に湯が沸いた。

安物の茶を差し出すと、言い合っていた二人がそろってふうふうと口を尖らせて茶を啜る。

仙蔵はふっと吹き出すと、正平が「なんだよ」と熱そうに茶碗を畳の上に置いた。

「いえ、お二方の口が小鳥のくちばしの様に見えたもので・・・」

仙蔵が二人の顔を見ると、「くだらねえ・・・」と正平は鼻であしらう。

卯之吉は茶碗を指差して「これ、あっちいから水を入れてくれ」と触ったり放したりしている。

仙蔵は茶が熱すぎたとかと水を足した。

二人が茶を飲み一息つくと、ぼやいていた卯之吉が「じゃあ、そろそろ行かねえと・・・」と立ち上がる。

仙蔵も荷物を持って長屋を後にした。

 

 二人の後に続く仙蔵は、ガリガリだった卯之吉が少し太った様にも見える。

どてらを着ているからかとも思うが、どこか様子が違う。また、足も早く疑念を抱きつつも先を急いだ。

 市ヶ谷辺りまで来ると、仙蔵は疲れて茶屋を指差し「少し休みましょう」と正平に頼む。

正平は休憩に同意するが、卯之吉は「まだ半分しか来てねえ。御茶ノ水で休もう」と歩き続けた。

あっけにとられた仙蔵は、どうなっているんだと正平に視線を送る。

正平も困った顔で「だとよ・・・」と歩き続けた。

 

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     (歌川広重 御茶ノ水

 

 御茶ノ水の水番屋近くの茶屋に付くと、倒れ込む様に仙蔵と正平が座った。

卯之吉は背筋正しくゆっくりと腰かけ、女給に「おうっ、すまねえがすぐに温ったまるものをくれねえか」とかっこつける様に妙な節を付けて呼びかける。

女給は「でしたら、お汁粉か甘酒がござます」と頭を下げた。

仙蔵は甘酒と言おうとする間に、卯之吉が「おう、二人とも汁粉でいいよな?」と有無を言わさんばかりに笑顔で目を見開いている。

圧倒された正平は「あっ、ああ・・・それでいいよ」と頷き、仙蔵も正平に倣って「はい」と返事した。

「頑張れ、あともう少しだ」

卯之吉は仙蔵の長屋で休んで以来、疲れを知らない様に曇り空を見上げて微笑む。

「なんだか清々しいな~っ」

仙蔵は首を捻ると、正平が小声で「寒みいよな・・・」と呟いた。

卯之吉は立ち上がり、両手を回しながら周辺を見渡し、「蒲焼の匂いがする、うまそうだなぁ。あそこの水番屋の一階はうなぎ屋なのかぁ」と鼻をくんくんと鳴らしている。

「卯之吉さん、どうしたんですか?少し見ない間に元気ですね・・・」

正平は仙蔵にぼそりと囁く。

「こっちに戻って来てから、がらりと変わっちまったんだ。飯も良く食うし・・・調子狂っちまう」

仙蔵は正平の話を聴き、やはり町奉行所に戻ったことで待遇が良くなったのかと、胸を張って自信に漲る卯之吉を見つめた。

「どうした、仙蔵。なんだかやつれた様だが、ちゃんと飯食っているのか?」

 仙蔵は驚いた。

卯之吉さんが飯の話をしている・・・。

 御救小屋で鴨鍋を食べている時なんかは、でこっぱちの伝造に奪われそうになるほど、のろのろとしていたのにと尚更分からなくなってきた。

お汁粉が運ばれてくると、ふうふうと湯気を吹き消しながら食べる。

さすがに卯之吉も熱いものは難しいらしいが、白玉をはふはふと口の中で転がし、「この汁粉、うめえなぁ」と女給に声をかけながら味わい、最後に卯之吉が食べ終えた。

すると卯之吉は「もう一杯食うか?」と仙蔵に問いかける?

 「えっ!」

仙蔵は、正平の顔を見る。

正平は首を捻って「おいらはいらねえよ」と断った。

「卯之吉さん、食べるんですか?」

「ああっ」と言って、もう一杯お汁粉を注文する。

仙蔵と正平は茶を啜って、お代わりのお汁粉を啜る卯之吉を眺める。

卯之吉が満足げに食べる様子を、二人は物珍しそうにじーっと見つめていると、「食うか?」と箸に摘んだ白玉を見せた。

二人は「いらねえ」「いりません」と首を横に振る。

 にんまりと白玉を食う卯之吉を見て、やはり肉付きが良くなっていると仙蔵は確信した。

でも、つい十日かそこらで人の食欲が、これほど変わるものかと疑った。

「ああっ、美味かった」とお汁粉を食べ終えた卯之吉は立ち上がった。

仙蔵も出立すると一緒に立ち上がる。

 卯之吉は茶屋の奥にある品書きを目を細めて見入っている。

「おやきと蕎麦がある・・・食ってもいいかい?」

正平は眉間に皺を寄せた。

「まだ食うのかよっ!早く仙蔵を連れて行かねえとっ」

卯之吉は目を細めて、正平を睨み付けた。

「なんだよっ、間違ってねえだろうっ!白沢の旦那がお待ちなんだぞっ」

正平もだんだん腹が立ってきて睨み返す。

卯之吉はあっさりと諦め、ぱっと目を見開いた。

「あっ、そうか・・・じゃあ、勘定済ませてくる」と金を女給に渡し、「待たせたなっ、後は休憩なしで行くぜっ」とひらりとどてらをなびかせて歩き出す。

正平は「訳分かんねぇ・・・こっから目と鼻の先じゃねえか。お前さんを迎えに行く時だって、ここで、おやき食ったんだぜ」と仙蔵に耳打ちした。

「えっ、来る時もここに寄ったんですか?」

「ああっ・・・それに二日前から定町廻りでもねえのに、捕縛の練習をする様になった」

 仙蔵はいつか四谷追分稲荷で芝居の練習をしていた時、正平が卯之吉に提案していたのを思い出す。

「それって、正平さんが『舞台を降りても、結局はそれぞれの役を演じている』って仰っていましたよ。それに卯之吉さんが、世の中には嫌な役回りを演じる人間が必要だとかなんとか言ったのに対して、正平さんが自分の人生は自分が主役だという様な事を仰っていました」

 歩きながら正平は、小首を捻って眉を寄せた。

「そんな事言ったっけ・・・」

「はい。正平さんは、誰だってなんらかの役を演じるなら、卯之吉さんは岡っ引きの御役で、もっと活躍するために剣術、捕縛の鍛錬をして、筋骨を鍛えればいいと仰っていました。筋肉は衣装だとも言ってましたよ・・・」

正平は視線を動かしながら記憶を辿り「ああっ、そんな事言ったかもしれねえが、例えばって事だよ。だって、そこから抜け出すには、何かを変える必要があるじゃねえか・・・じゃあ、おいらのせいかよ~っ」と顔を歪めた。

仙蔵は返答に困り「別に悪いという訳じゃないと思いますが・・・」とはぐらかした。

 先頭切って快活に歩く卯之吉が振り返った。

「仙蔵、良かったなっ」

「えっ、なにがです?」

「白沢様は約束をちゃんと守ったって事よっ」

意味が良く分からない仙蔵は困って、正平に目を向ける。

正平もふと微笑みを浮かべ、「間違っちゃいねえな・・」と胸を張って歩く卯之吉の背中に頷いた。

仙蔵は正平にも「なにがです?」と聞いてみるが、「あともう少しだ」と言うだけだった。

 

 坂を下り、淡路町武家屋敷の並びに入ると、卯之吉がふいに足を止めた。

「あれ、どこだっけ・・・」

それまで自信に満ち溢れていた卯之吉が、わずかに困った顔をした。

正平も「そこを左じゃねえか・・・」と左右の道を見渡した。

「いやっ、あそこに寺の屋根が見える」

卯之吉が指差す方へ、正平が顔を向けると、「ああっ、そうだ。あの寺だ」と今度は二人並んで寺を目指した。

 

 山号の前で立ち止まり、仙蔵は目を細めた。

「代山寺(だいさんじ)・・・なんだか嫌な予感・・・。この寺に白沢様がいらっしゃるんですか?」

正平と卯之吉は声をそろえた。

「ああっ」

 仙蔵は立ち止まる。

今度は寺で働けと言うんじゃないだろうかと、門を潜るのを躊躇った。

今一度二人は声を揃えた。

「仙蔵、早く来いよっ」

 

              

            第二部(33)へ続く。