#おもてなしの極意# ドキュメント新宿 戦国コスプレそば「三献」全3話③最終話 読み時間約10分
(3)
福島正則は、しつこく目が痛い素振りをする石田を睨みつける。
「早う、どんぶりにつゆを入れて来いっ」
石田はまだ目がかすんでいる様な小芝居を続けて、また擦る。
「ああっ、今持ってくるよ、だから怒鳴るなよ。まだ痛いな・・・」
すごすごとカウンターの中に舞い戻ると、どんぶりを用意した。
「どうだ、この黒楽のどんぶり・・・お主らの勝負に持って来いだろう」
「ふんっ、能書きはいいから、さっさとワサビを持てっ」
石田は冷蔵庫からワサビのチューブを取り出し、福島正則に見せる。
「バウスとSP、どっちがいい?」
福島は腕を組み、顎髭をねじって考える。
「うーん、バウスは意外と辛みがまろやかだから、SPのワサビにしよう」
石田はSPのチューブを福島に渡す。
母里の前には盛り蕎麦が置かれ、福島の前には黒楽のどんぶり。
福島はSPのワサビの蓋を外し、ニュルニュルっと並々とつゆが入ったどんぶりの淵になすりつけ、母里の顔を見てほくそ笑む。
「どうだ、これは辛いぞ~っ」
負けてなるものかと母里も鼻であしらう。
「ふんっ、なんのそれきしっ」
「ならば、更に追加っ」
福島はチューブの下からググッと残らず絞り出そうと剛腕に力を漲らせるが、手を止めた。
「ワサビを全部入れてしまったら、もはや蕎麦とはいえんな・・・」
母里は意外に少ないワサビに戸惑った。
「いいのか?わしは全部飲み干すぞ。そしたら、お主は家を失うぞ?」
「ああっ、俺は誰かと違って卑怯なマネはせん。俺も武士、覆すことはせんっ」
「今の言葉、しかと聴いたぞっ。いざ勝負っ!」
母里友信はニコニコと勝利を確信して箸を持つ。
一口でそばを平らげようと、嶋左近の手打ちそばを挟めるだけ挟んだ。
そして、ワサビの入ったつゆにだぶっとしっかりと浸し「ずずっ」と啜り上げた。
母里は掴んだそば全てを口の中に入れると、目をぐっと固く瞑って上を向く。
「うーっ!」
三成は喉の詰まったかと、コップに入った水を持ち寄る。
福島はSPのワサビのチューブを母里の顔の前にぶら下げ、意地悪く微笑む。
「ふふっ、どうだ・・・すごいだろう」
「ぐふっ・・・」
母里は顔を振り上げたかと思うと、たちまち振り下げて耐えている。
「吐いちまえよ・・・吐いてすっきりするんだよ。おめえさんには耐えられねえ」
福島は犯人を落とす刑事の如く、苦しむ母里をやさしく諭す。
母里はかっと目を見開くと、口を押えて飛び上がる。
「むーっ!」
それを見ていた、石田も近づく。
「母里殿っ、吐くか?」
母里は毒でも喰らった様に喉を抑えて苦しみ、上を向いて吐き出すのを耐え忍ぶ。
「ぬぐ~っ!」
福島はにやりと静かに首を振る。
「ムリだ、友信。この勝負、俺の勝ちだ・・・歴史は繰り返すとは限らない。三成っ、バケツを持って来い」
三成は静かにうなづくと大きな青いバケツを持ち寄った。
青紫色になって口と喉を押さえる母里友信は、目を血走らせバケツを抱きかかえると、
さっと、皆に背を向ける。
「オエ~ッ!」
続いて、三成は今度は中くらいの青いバケツを母里に渡すと、母里はバケツの前に膝まづく。
「ぐえーっ!」
最後に、青い小バケツを三成は母里の前に置く。
「ウエーッ。舌がぁっ、舌が痺れるーっ。トリカブトでも入っているのかっ、マズイっ、つゆが酸っぱいっ、腐っているのかっ!」
福島正則は、ゴロゴロとのたうち回る母里友信を上から見据えて高笑う。
「がはははっ、だから最初から申したではないかっ!左近のそばは本物だが、三成のつゆはクソマズイとっ。こいつの味覚は破壊されておる。そば茶屋『三献』とは片腹痛いわっ。上っ面のおしつけがましいもてなしは、所詮『三献のゲロバケツ』。分かったか、三成っ。そして友信っ、これでも気の毒に思って、わざとワサビで味をごまかしてやろうとしたんだ。ワサビがなかったらお主の命はなかったかもしれんぞ。わはははっ」
母里友信は力を振り絞って、ふらふらと体を起こす。
口元を袖で拭い涙を流しながら、石田三成を睨みつけた。
「貴様、よくもっ・・・よくも、こんなものを客に出せたなっ。この店は取り潰しだ、太閤殿下に御報告致す・・・」
母里友信。どさりと崩れて、泡を吹く・・・。
太閤殿下に御報告?
まさか・・・
私は痙攣する母里友信を介抱するふりをして、身をかがめながら思案する。
もてなしの心、気遣いの心があったのは、
口は悪いが正直者の福島正則かもしれない・・・。
現実逃避の空想ともつかない世界から、
一旦、距離を取ろうと私は隙を付いて店を飛び出した。
(終)
※ 史実の山名豊国は、秀吉の侵攻の際、一旦(いったん)、鳥取城に籠城する。
城内では家臣たちが徹底抗戦を主張する中、豊国は抗戦派の家臣を残して城を抜け出し、勝手に秀吉に降伏してしまう。残った家臣は、豊国を追放し毛利家の吉川経家を迎えた。
見方を変えれば、この逃げ足の速さは機敏な判断力ともいえるかもしれない。
残された家臣はたまったものではないが・・・。
後に、関ケ原で徳川方に付き、功もあって6700石、七美郡(しつみぐん)70村を家康から領有を許され、名門山名家を再興した。
子孫は、高家旗本として江戸時代の末まで存続。
明治元年もしくは2年(1868)。
子孫たちの功績により1万1000石の村岡藩にまで盛り立てた。
尚、山名豊国は和歌、連歌などの文化芸術に長じ、家康、秀忠の茶会にも参加している。
≪ ウィキペティア本文より要約 ≫
現代で、ヘタに歴史上の人物のマネをしても、同じ様には、ほぼならない。
一代で築く武功、業績を重んじるのも考え方の一つ。
そして、自分を知り、子孫に託するという考え方もまた一つ。
その一例が、山名豊国殿かもしれない。
裏切られた家臣の冥福を祈りつつも・・・。
おわりに。
石田三成は、小姓時代に自分の知行500石全てを、渡辺勘兵衛に与えて家臣とした。
三成が家臣である勘兵衛宅に居候している事を秀吉は聴き、大いに笑うが感心したという。
また、約4万石の知行を得ていた頃、その半分を分け与え、家臣とした嶋左近(清興)。
全ては、主君・豊臣秀吉の為。
ひいては、石田三成の旗印「大一大万大吉」が目指すところに通ずるのではないか。
「一人が万人の為、万人が一人の為に尽くせば人々は幸せになる」 (異説あり)
石田三成であっても、不測の事態(想定できない想定外の出来事)に備えた。
何の為に金が必要かを真っ先に考えた石田三成の精神を少しでも見習いたいと頭が下がる。
今は予測もできぬ不安な時期。
まずは、「何の為」と自身に問いかける事が、他者もしくは自分に対する、「もてなし」(物事が上手く運ぶように処置する事)につながる第一歩かもしれない。
〇本作はあくまでもフィクションです〇