【 クリスマス・イブのハローワーク 】全2話 ②
(3)
内田に2度目の損害保険金が支払われるまでに時間がかかった。
保険会社が故意の事故の疑いがあるという理由で、調査に1年を要した。
その間、内田は再び出店すべきか思い悩んだという。
あれだけ盛況だった店を他の場所で復活できるだろうか・・・。
そして、また一から創(はじ)めると思うと、気が重く振るわない。
悪い時には悪い事が続くもので、遠距離恋愛を続けてきたアメリカのモデルのような彼女が、クリスマスを前にして別れを告げてきた。
こんなことなら、日本に帰ってこなければ良かった・・・。
内田は店を成功させた暁には、彼女にプロポーズをしようと決めていただけに、その落胆はただならなかったという。
弱気になった内田は、充電期間をもうけようとハローワークに通って仕事を探した。
まもなく、中堅の建設会社に入社するも、2年で倒産の憂き目にあう。
折角慣れてきた仕事だったのに地獄へ転落したと、内田は涙声で当時を振り返る。
「忘れもしない、あれは17年前のクリスマスイブ。あの日もハローワークに通っていた・・・」
春夏秋冬。1年はあっという間に過ぎ去り、年の瀬に至る。
仕事が見つからぬ焦燥と独り身の寂しさがヤケに染みたという。
夕方5時を過ぎ、めぼしい仕事も見つからず落胆してハローワークから外に出ると、辺りはもう暗くなっていた。
雪にもならぬ、ただただ冷たい風に吹き晒され自宅に帰ろうか帰るまいかと、
目的も定まらぬまま彷徨い歩いていたという。
部屋に戻っても食べ物も用意しておらず、作る気力もない。
寒さと空腹で立ち止まる。
辺りはクリスマスの文字とイルミネーションで埋め尽くされていた。
街は輝き、皆が幸せで、独りで歩いている人々でさえ、これから誰かと待ち合わせなんだろうと思えてしまう。
世界でただ一人取り残された気分となり、オフィス街である都庁方面に道筋を変えた。
北風とビル風が重なり、内田の行く手を阻む。
マフラーを口元まで覆い、抗うように人気の少ない場所を求めた。
オレンジ色の灯りが一つ、ぽっと明るい。
内田はラーメン屋に近寄り、店先から中を覗く。
満席、しかも学生風の恋人同士ばかり。
看板を見れば、その頃評判になっていたラーメン店。
仕方なく、自分の部屋に帰ろうと青梅街道沿いを歩いて駅に向かう。
途中、寂(さび)れた小さな立ち食いそば屋「泉屋」を見つける。
凍て付く手をズボンのポケットの中に突っ込んで暖めながら店の中の様子を窺う。
幸い、客はいない。
年配の女将さんらしき人が、高い位置にあるテレビを見て休憩していた。
この店だけが、いつもと変わらぬ時間が流れている、そう思ってドアを開けた。
女将さんは、内田が入ってくると気だるそうな目を向け「いらっしゃ〜い」と、重い腰を上げた。
客のことよりも、テレビを見たいような印象だったと言う。
一般的な店は、カウンターにテーブル台のような張り出しがあり、立って食べるか、小さな椅子に座って食べる。
この店のカウンターにテーブル台はなく、窓と対面する位置にテーブル台が備え付けてあった。
その台の下に、バックなどを引っ掛けるフックがある。
景色を見ながら食べると言った方が分かりやすいかもしれない。
内田は掻き揚げそばを注文。
空っぽの手提げカバンを台の下のフックにかけ、寒い手を擦り合わせてそばが出てくるのを待っていた。
給水機のお茶のボタンを押して、湯のみ茶碗を両手で包んで温まる。
女将さんは、天ぷらの揚がり具合を見ながら、テレビが気になって仕方がないといった様子でチラチラと見ていた。
客にものすごい関心を示す店員よりは良いが、客よりテレビに夢中であることに、言い知れぬ虚しさが込み上げてきた。
内田もテレビ画面に目を向けると、海外のクリスマスを中継していた。
華やかなイルミネーション・・・。
今は昔、アメリカ留学の甘い日々を見ているかのような気持ち。
彼女は、今頃どんな時間を過ごしているのだろう・・・。
「はいよ、掻き揚げのお客さん」
現実に引き戻された内田は女将さんに360円を手渡し、窓の外を眺める台にお盆を置いた。
外はもう真っ暗になっていた。
窓には薄っすらと、丼を前にした男が、独り映っている。
内田はそんな自分が嫌で堪らない。気を取り直して、湯気が立ち上るつゆの中に割り箸を入れ、そばをすくい上げた。
窓に吹きかけるように、ふうふうとそばに息を吹きかける。
たちまちガラスは曇り、自らの顔が見えなくなった。
揚げたての天ぷらをわずかにつゆに潜らせて、一口大に割って口に入れる。
さっくりとした歯ざわりをはふはふと味わう。
つゆは、少し煮詰まってしょっぱいと思うが、それでいいと、また啜る。
塩分が強ければ、血圧も上がって温まる・・・。
内田はわずかでも忘れようと、そばと掻き揚げに意識を向けた。
そばを半分ほど食べると、湯気も落ち着き窓ガラスの曇りも消えた。
時が進むに連れ、外の眩いイルミネーションが輝きを増しているように思えた。
青梅街道に面した、この小さなそば屋の前をサラリーマンが続々と駅に向かう。
内田はこの時、漠然とした寂しさというよりも悔しさ、あるいは、対抗心にも似た感情が芽生えたという。
通行人の誰に対してという訳でもないが、「俺は営業帰りで、今、やっと飯を食っているんだ」と心の中で言い聞かせた。
忙しいビジネスマンを独り演じる内田は、ちらりと時計に目をやったり、ありもしない予定を確認するように手帳を広げたりしてそばを啜った。
内田自身も分かっていた、失った良き日々、理不尽な現実。
頑張って探しても、仕事は見つからない。
誰も自分を馬鹿にしていないのも分かっているが、被害妄想が突き上げる。
漠然とした不甲斐なさと恥辱が圧し掛かり、空白の手帳から顔を上げられなくなった。
どうすんだ、これから・・・。
内田は食欲を失い、箸を置く。
そば屋の裏口がカラカラと開くと、女将さんが文句を言い出した。
「ちょっと、あんた。店放り出して呑みに行くのはやめてよっ」
「うるせえなぁ。どうせ今日みてえな日は、客なんか来やしねえよっ。そば屋にとっちゃあ、サンタはサタンだっ」
「お客さんがいるんだよ・・・少しは仕事してよ」
「分かったよ、ガイコツばばあがガタガタうるせえ・・・」
「あんたなんか、口の悪い子泣きジジイじゃないのさ」
「うっせーっ」
内田はそば屋の夫婦が厨房でいがみ合っているのを聞くと、ほっとした心地になった。
辛い時期にクリスマスを迎えると、感じ方がまるで違う。
たった一日か二日間限定の幸福感と善意の押し売りに映り、商業的な虚構のでっち上げに思える。
もう疲れた・・・。
テレビから「メリークリスマス」と聞こえる。
溜息と共にうつむくと、目頭が熱くなる。
パチパチと音が聞え、内田は振り返る。
「良かったら、これどうぞ。メリークリスマス・・・」
店主が手に持っていたのは、小皿に乗ったお稲荷さんが2つ。
そのお稲荷さんの一つに、カクテル用の花火が突き刺ささり、もう一つのお稲荷には、火が点った仏壇用のローソクが、直じかに突き刺してあった。
内田は慌てて「いいよっ、いらないっ、いらないよーぉっ!」と両手を振って、窓辺の台に載せないように懇願するが、「遠慮するなよ、お客さんっ」と押し切られてしまった。
それまで誰も気にも留めなかった寂れたそば屋の窓辺に、突如として小さな花火、一本のローソクが輝いた。
内田は、まるで晒(さら)し首になったかのような恥ずかしさに耐えられず、立ち上がろうとすると背後から肩を押さえつけられ、逃げられなくなってしまった。
窓に映った背中越しの店主が、目をかっと見開く。
「元気出せっ!」
内田は、店主の豹変ぶりに驚いた。
「ここで長年店をやっているから分かるんだよ。あんた、ハローワークの帰りだろう・・・」
内田は恥ずかしさと情けなさで涙が溢れそうになり、うつむいた。
「やめてくれ・・・」
店主は更に肩に力を入れて鷲づかむ。
「恥ずかしいかっ!そうだっ、恥ずかしいに決まっているっ。こんなクリスマスにケーキじゃなくて、お稲荷に花火とローソクが突き刺さっているんだからなっ」
内田は更なる屈辱を受けたと思い「帰らせてくれっ」と声を上げた。
「ダメだっ。名前は忘れたが、ある戦国武将が言っていた。馬上に乗って臆する武将に、『顔を上げよっ、相手も同様に臆しておる』とっ。その叱咤激励に、武将が顔を上げると、敵の足軽はほとんど農民で、馬上の侍大将も眼を伏せていた。我に返った武将は活路を見つけ、見事敵将討ち取ったという・・・。つまり、みんなが勇ましい訳でも、上手くいっている訳でもない。臆すれば大軍にみえるものだと、織田信長も言っているっ。だから、辛くても顔を上げて、活路を見出せっ!」
店主の勢いに乗せた武将格言に、内田も負けじと声を上げた。
「適当な事を言うなっ!」
「恥ずかしくても、悔しくても、顔を上げよっ!」
「いやだっ、帰らせろーっ!」
店主がぐいぐいと内田の顔を上げさせようともみ合ううちに、双方とも疲れて気が抜けた。
首の痛さに内田が上向くと、自分と後ろから押さえつける店主が、花火とローソクの明かりに照らされ、ガラス窓に映っていた。
店主の首元には、木札、いや、喧嘩札がぶら下がる。
「ああっ!あんた、もしかして疫病神の茂三かっ?!」
「なんで知ってんだ・・・」
「忘れたとは言わせないぞっ。新宿のパブでヤクザを煽って。そして、パワーショベルが突っ込んで、俺の店をめちゃくちゃにしやがってっ!」
「あっ、あん時の・・・」
二人の小競り合いに驚いて、女将さんが出て来た。
「どうしたの?」
内田は、女将さんにこれまでの経緯を全て話す・・・。
「あんたったらっ!この人が可哀想じゃないのさっ」
疫病神の茂三は、「すまねえ・・・でもよ、あんたは今顔を上げたから俺の事が見えたんだ。ずっと下を向いていたら分からなかっただろう・・・」とバツが悪そうに内田を見つめた。
「屁理屈こいてんじゃねえっ、俺は無職になっちまったんだぞっ」
内田の怒りは収まらない。
困った茂三は、「この店は大久保の職安近くから場所を移したけど、かれこれ40年やっている。罪滅ぼしと言ってはなんだが、そば打ちを教える。もちろん給料と衣食住の面倒もみる・・・」と持ちかけた。
内田は飲食店で40年続いていると聞き、稲荷寿司に突き刺さるかわいい花火に目を向けた。
恥ずかしさも吹き飛び、窓の外に視野を広げて覗いてみる。
さぞかし大勢の野次馬がいるのかと思いきや、いつもと変わらぬ様子で人々が駅を目指して通り過ぎる。
内田は、自分が思う以上に見られている訳でも、馬鹿にされている訳でもないと知る。
窓に映った自分を、誰よりも卑下し蔑げすんでいたのは、内田勝本人だと・・・。
そして、疫病神の茂三に、そば屋経営を学んだという。
(4)
「だから、私は区画整理で一度は立ち退いた店を、ハローワークの近くのこの場所で再建しなければならなかったんです。そして、クリスマスには義父(オヤジ)にならって、お客さんを励ましているんです・・・」
内田は腕を組んで、遠く空を眺めていた。
「お待ちどうさま〜っ」
厨房の奥から、割烹着姿の中年女性が現れた。
お盆に載せたそば。そして、稲荷寿司からは、激しい火花が噴き上がる。
お稲荷に刺さった花火は、時を経てグレードアップされていた。
ドラゴン花火が火を噴いているっ!
「うわーっ、お稲荷さんが燃えてるーっ!」と私は仰け反った。
内田は何を思ったか、これが先代からの心だといわんばかりに誇っている。
「これぞ名物っ、ドラゴン稲荷っ。クリスマスだからって、そば屋が大人しくしているつもりはありませんよ。もう一つのお稲荷には、ネズミ花火が仕込んでありますから、お楽しみにっ」
「楽しめるかっ!」
内田は、私が慌てふためいているのも気に止めず、隣の中年女性を紹介し始めた。
「どうです、あれからこのモデルのような嫁をもらったんですっ」
「いやだ〜ぁ、あんたったら〜っ」
煙はすごいが、際立つ嫁。
内田勝の嫁は、掟破りの歯出なブス。
「火災報知機が鳴るんじゃないですかっ!」
「大丈夫、止めてあるから。亮子はパリコレにも出たんですよ」
「いやだ〜ぁ。お客さん、冗談ですからねっ」
四角いカンナ面(づら)。
誰が本気にするか・・・。
「実は、あの疫病神の娘なんですが、私にとっちゃマリアです」
「クリスマスとかけたのね、おバカさん・・・」
「パンっ!」
稲荷寿司が破裂し、米粒と稲荷の油揚げの破片が私の額に張り付いた。
「これぞ名物っ、スパークリング・ねずみ稲荷っ。メリークリスマス、ちなみに私が二代目疫病神となりましたっ」
私は無視してうつむき、顔にへばりついたコメと油揚げを拭った。
「お客さん、顔を上げよっ。元気出せっ!」
うるせえ・・・。
(終)
〈本作は、4年前に書いたフィクションです〉