増税、還元、キャッシュレス。 そして明日は、ホープレス。

長編小説を載せました。(読みやすく)

ひげのおっさんグモ 発見!

 先日、暑さも落ち着き天気も良かったので、荻窪方面に散歩に出かけました。

八幡神社に立ち寄り、手を合わせて、小さなお稲荷様の社にも参拝。

心がすっと落ち着いた様な気になり、お稲荷様の像をじっと見つめていると、

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小さなひげのおっさんグモ

   おきつね様の耳に、小さなクモがいる。

 

 まるで、ひげを生やしたオッサンの様な顔面を背中に背負った模様のクモがひっそりと、おとなしくしていた。

 

 思わずスマホを近づけ一枚撮影。

 

  誰かに似ている様な気もするけど、誰だろう・・・。

吉兆だと思い込んでクモにも手を合わせました。

 

コメディは難しい⑤(叱り方編)

 

   唐突だが、iPhoneでikkの文字を打つと、「一階」、「一向一揆」でもなく

「ikko」と出てくる。

私はこれまで、ikkoさんについて一度も調べた事はないのだが、さっとiPhoneは忖度して出してくれる。

なんで?と思う反面、少し怖いと思う。

iPhoneにまでikkoさんが浸透しているとは只事ではない・・・・。

 Ikkoさんは言わずと知れた美容家だ。

 

 以前、女性に「どうしてオネエの方が、化粧品やメイク術を紹介すると売れるのか?」と質問した事がある。

ある女性の答えでは、余り美人な人に勧められても説得力がないというのである。

私は間髪入れずに問い返した。

「でも、ikkoさんは男じゃんっ。男に勧められても余計に説得力ないよ」

これに対し、「女性以上に研究をしているし、なんだか言葉は入ってくる」という。

 

 美人が自身の肌に塗ったり、他人に塗ったりしている様子を紹介して「どうです?」という呼びかけは、少々イヤミに映るのだという。

 そうした弊害を緩和しているが、ikkoさんを代表するオネエの美容の専門家らしい。

 

 私はこれを聞いてから、数々のオネエの方を注視してきた。

観察すればするほど、私は勝てないと思う・・・。

 

 冷静に分析した結果、少なくとも3点について勝てない。

まず第1は、オネエの方は、男と女の気持ちが理解できるという点。

第2に、あのマイルドな口調。そして、女性に対して警戒を薄れさせる容姿である。

第3に、突如、男に戻るという、瞬時にギャップを演出でき、明るい点。

                   (※全員が明るい訳ではない)

この3点の内、1点目だけは努力では超越できない壁として立ちふさがっている。

 

 私が出来るとするなら、2と3。

女装と口調をマネればなんとかなりそうだ。

ただ、ここにも問題が立ちふさがる。

女性として綺麗になりたいという願望がなければ、コントの女型にしかなれず、ましてや、職場で女装などしようものなら、上司からふざけているのかと叱責を受けかねない。

 

 日常生活でかろうじて私ができるとするならば、口調をマネすることぐらいだ。

暇つぶしにオネエの口調をマネしてみたら、意外と上手いらしく彼女も笑ってくれた。

 

 本題に戻る。

人を叱る、もしくは注意する時は苦労する。

最近では強く注意すると、パワハラだと問題になりかねない。

別に管理職でなくとも、若手や後輩を注意するにしても気をつけねばならない。

 

 私は注意した後、なるべく後を引かず、改めてもらう事につながる様心がけている。

しかし、相手が女性となると、これまた注意の仕方を考慮しなくてはならない。

誰にでもある事だが、仕事中、隣の席の人と会話が盛り上がってしまう時がある。

早く仕事に戻ればいいのだが、注意しなければならない時もある。

なるべく女性を注意したくないが、せざるを得ない時もある。

 

 そんな時は、「ちょっと」と廊下に呼んで「少しぐらい話すの良いけど、仕事も忘れないでね」と注意する。

女性職員はうつむいて「はい、すいません・・・」と反省するが、いつも後味が悪い。

何だか、私がイジメているかの様な構図ができてしまうからだ。

下手に泣かれでもしたら、私が悪者になってしまう。

 苦肉の策で、「静かにしてちょうだいっ、今度やったらコラリッチっ」とオネエ口調で叱責し、拳を振り上げた。

すると、女性職員は「ふっ」と力が抜けが笑みが戻った。

 

 以来、叱る時は「コラリッチ」を付け加える事もある。

まあ、その女性職員とはよく話す関係であった事が前提ではあるが・・・。

 

          コメディは難しい・・・。

コメディは難しい④(ギャップ編)

       以前、私は作家の筒井康隆先生が嫌いだった。

学生の時、テレビで見た筒井先生の容姿、口調が殊更偉そうに見えたからだ。

 

 それから、十年以上が過ぎたある日。

再び、筒井先生をバラエティー番組で見ることになる。

学生の時に見たままの印象。いや、白髪になり更に重鎮感が増したように映る。

和服姿で偉そうに口ひげを蓄えて腕を組んでいた。

偉そう、傲慢という勝手な偏見と無知に凝り固まっていた私は、また偉そうな事をいうのだろうと、ひねた視線で眺めていた。

 筒井先生が自身のエピソードを話し出す。

落ち着き払った作家の大家の様に、堂々と風呂に入るまでを低音の声で話していたと思う。

 

 私は批判的に煙草を咥えた。

回りくどいな・・・。

そんな印象で早く話が終わらないかとさえ思い、集中力も削げ、横になってタバコに火を付けた。

 

「それでね、風呂の排水溝に金玉が吸い込まれたんだよ」

 

「えっ?」 

私は咥えタバコのまま、聞き間違えたかとテレビに見入る。

 

 筒井先生は、その時の状況を振り返りながら、和服姿で自身の股間を指さし、「風呂に入りながら掃除をしようかと思って、排水の栓を抜いたら、金玉が吸い込まれたんだよ・・・」と非常にクソ真面目な顔で言っていた。

私はあまりにもくだらなさ過ぎて、タバコの煙を噴出した。

 

 筒井先生は、自身のエピソードを話し終えると再び席に座り、悠々と腕を組んでいた。

 

 私は、やられた~っ!と頭を抱えた。

筒井先生は、笑わせる為に、わざと普段から高尚で威厳のある装いを演じていたのかーっ!

 まさに、不意打ちだった。

真面目な事しか言わなさそうな人間が、唐突に下ネタを放り込んでくると、そのギャップも相まって笑ってしまう。

 

※ご本人に確認していませんので、私の勝手な憶測です

 

 これを転機に、私は筒井康隆という作家に興味を抱いた。

翌日かは忘れてしまったが、私の嗜好品を扱った著書「最後の喫煙者」等の短編集を買った。

この短編小説を読みながら、まさに現代社会を予知していたかの様で、

「う~ん」とうなってしまった。

読み終えた後、やけに世の中の正義または、誹謗中傷、クレームというものが滑稽とさえ思う。 

 

 まるで社会正義であるかの如く、喫煙者を攻撃する人間も、いずれ攻撃対象となるだろう。

何故なら、タバコの煙の害と自動車の排気ガスの害は、どちらが人体に害悪をもたらすのか?

その詳細なデータ(タバコと排気ガスの濃度を同一にして比較)もせぬまま、自動車等には文句も言わず、喫煙者を狙い撃ちしている。

まさに、偏見だ。

(彼らの言い分からすると、自動車は世の中になくてはならないという理屈。人体に害があっても・・・)

 

 私は酒がなくても平気だが、次の標的は、酒である。

もうすでに始まっており、酒が脳に悪影響を及ぼすという声がちらほらと聞こえている。

 

 更に、次の攻撃目標は、ゴルファーかもしれない。

何故なら、自然を壊すからだと言い出しかねない。

 スキー、スノボー愛好者も同様な理由で攻撃されるかもしれないのである。

文句をつけようと思えば、おおよそのものに文句をつけられるだろう。

人間自体が、直接的間接的に自然を破壊しているのだが、それを棚に上げて言うのである。

 したがって、私はトラックの排気ガスにも苦情は言わないし、酒飲みにも文句を言わない。

ましてやゴルファーにもスキー、スノボー、動物園にも文句など言うことない。

私は、負い目のある喫煙者だからだ。

 

 最後に、筒井先生は笑いを演出するためではないだろうが、見た目と話す内容のギャップにより笑いを誘った。

 言い換えれば、人間の偏見の作用を狙ったものともいえるかもしない。

しかし、その人その人のイメージが重要となる。

私の場合は、下ネタを言ってはいけない部類の人間らしいエピソードで締めくくりたい。

 

 私の勤める会社の近くにスーパーがある。

昼食時には、弁当とバナナを買って職場で食べることが多い。

職場には当然、女性職員もおり、昼食を食べない人もいる。

 ある女性職員が何も食べていなかったので、何の思惑や意図もなく声をかけた。

「バナナ上げようか?ほらっ」と聞いたら、あからさまにイヤな顔をして立ち上がった。

「セクハラですか・・・」

「えっ!なんで」

 私はセクハラ疑惑の冷ややかな視線を向ける女子職員が立ち去る中、周囲の男性職員にすがる様に情けない顔を向けると、これまたニヤけた薄ら笑いを向けられた。

「紺野さん、反ったバナナを突き付けて上げようかって、ビミョーに下ネタだろう・・・」

「ちがうちがうっ。全くそんなの考えてなかったんだよっ」

 それを見ていた他の女性職員が、私を嘘つきの犯罪者でも見るかの様に言ってきた。

「え~っ、なんか言いそうな顔してますよ」

「なんだよっ、セクハラ言いそうな顔って、冗談じゃないっ」

「怒るところが、また怪しい・・・」

もう何を言っても言い訳にしかならないので、疑惑の眼差しを向けてくる女性に

「お前の車にバナナ投げるぞっ!」と毒づいた。

「それも、なんかセクハラ~っ」と言い返されてしまった。

「ちがう、マリオ・カートだっ」と言っても、一度持たれた疑惑を覆すのは難しい。

ほぼ、何を言って無駄なのだ。

 

 このことがあってから、私は女性にバナナを勧める事を一切止めている。

どうやらギャップがなかったらしい・・・。

 

      コメディは難しい・・・。

かえるのたまごじゃありません。

 巨峰やマスカット、シャインマスカット、ピオーネに比べると、ちょっと食べる意欲がそがれてしまうデラウエア。

 だが、私は画期的な食べ方を発明し、これを一粒一粒皿に出す。

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     この量で、5房。

 

 どうだといわんばかりに、人に見せる。

すると、返ってきた言葉は「かえるの玉子みたいで気持ち悪い・・・」

私はムカッとして、スプーンですくって「食べてみっ、口の中いっぱいに広がる美味さだからっ」と差し出した。

しかし、頬をひきつらせて、「普通に食べたい」と言われてしまった。

 私は画期的な食べ方だと思ったが、なんとも見た目が悪いらしい。

私は、ふんと言い「かえるの玉子じゃねえよっ」と、ちまちま食っている横で頬張って「う~ん食べごたえがあるっ」と頷いた。

10分かけてこうして皿に開けてみたが、

実のないブログになってしまった。

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コメディの難しさ③ (弱点編)

 最近、「宮下草薙」の漫才を好んで見ている。

草薙さんの奈落の底に落ちてゆくネガティブ思考が、飛躍しすぎて面白い。

 先輩にハワイに誘われただけで、「なんで誘われたんだろう?」から始まり、挙句の果てには「香港のマフィアに売り飛ばされるんだ~ぁ」と絶望して終わる。

このお二方を見ていると、ウディ・アレンを思い出す。

 

 ウディ・アレンを御存じの方は多いと思いますが、彼は自虐的なネタが持ち味だ。

自身がユダヤ人であること、また小男でハゲている貧相な容姿、不安でありながらも知的を過剰に装う事をネタにしている。

アメリカではタフガイがモテはやされ、ウディ・アレンの容姿はからかわれる対象になる。

 しかし、ウディ・アレンがすごい所は、自分を常に客観的に観察しているところだ。

彼はラジオにネタを送り始める事から始まり、その後コメディアン、映画監督として名を馳せる。

自身の監督作品でも若い時から、自らが主演を演じてきた。

自分が情けない容姿であることを逆手に取り、常に怯えたりどもったりして、観客の笑いを誘う。

 

 私が特にウディ・アレンがすごいと思った作品は「ゼリグ」(邦題では、カメレオンマン)。

1983年に公開された作品で、ドキュメンタリータッチのモノクロ・コメディ映画。

ウディ・アレンが演じる主人公・レナード・ゼリグは神経衰弱者であることにより、歴史上の出来事の中で様々な出来事に巻き込まれてゆくストーリー。

 もう少し分かり易い例えでは、1994年に公開された「フォレスト・ガンプ」がこの手法を真似、もしくは類似しているといえばわかりやすいかもしれない。

 

    ※「カメレオンマン」は爽やかではない。

 

 私は、「カメレオンマン」をたまたま夜中のテレビで見てから、ウディ・アレンのファンになってしまった。

人間、ほとんどの方がなにかしらコンプレックスを持っていることと思う。

私も、学生の時などは自分の弱さが許せなくて仕方なかった。また、容姿の事だったり、他人と比べれば比べる程、嫌な自分に出くわして落ち込んだりもした、する。(今でも)

 そんな時、ウディ・アレンの作品を目にしたことで、強さが全てではないという事を知った。

彼は巧みに自身の弱点を知り尽くし、それを最大の長所へと変貌させた。

 

 アメリカのみならず日本の社会でも、強者にあこがれ弱い者を蔑む風潮が未だある。

誰にでも、言い訳がましい逃げ口上を言ったり、家族の為、なんからかの主義の為とか理由をつけて自身の弱さを隠しているにすぎない。

 私自身も自分の弱さを知る機会に出くわすと、心の中で自身をなじることが多々ある。

本当は、そういった弱い自分を受け入れなければならないのだが、なんでもないかの様に隠そうとする。

また、自分より更に弱い者を見つけて、自己の優位性を見出そうとする。

悲しかな、いじめる側の行動にも、家庭などその背景に心理的問題を抱えていることが多い。

 

 ウディ・アレンがすごい所は、自分の弱さ、コンプレックスを受け入れているところだと思う。

私も緊張したりビビったりすると、今でも自分が嫌になる。

 

 だが、ウディ師匠はみすぼらしい自身を笑い飛ばしている。

これを習い、私も自身が緊張したり不安になったりした時は、プロレスの実況中継の様に解説する様にしている。

 

「さあ、サンダー紺野選手、会場入りして試合前からビビってますね~っ。誰も注目もしてないのに勝手に緊張してます。自意識過剰により自身の首を絞めてます。まだゴングが鳴っていないのに、ぶっ倒れそうですね~っ。試合前から勝手に倒れて負けるという、学生プロレスの様なファイティング・スタイルなんですかね?」と・・・。

 

 「宮下草薙」の漫才は、自身を観察する事を思い出させてくれるが、いい年をしても未だ上手く短所を長所に変えられていない。

 

コメディの難しさ、客観的に見つめる視点なのかもしれない。

 

                                    

                                 

コメディの難しさ②(職場編)

 

  先日、笑いは「緊張と緩和」だと、千原Jrさんがテレビで言っていた。

私は番組を見ながら「なるほど・・・」と感心して、忘れぬ様に心に刻み付けた。

 

 そこで、緊張と言えば、「会議」であろう。

私はかつて勤めていた会社において、毎週一回の会議が苦痛でならなかった。

まあ俗にいう定例会議であるから、殊更、なにか新しい議題を話しあう訳でもなく、

ただ、だらだらと報告を聞くだけで、眠さを助長するものでしかない。

しかも、朝一番から会議が始まるので退屈極まりないものだ。

 

 私は、会議が始まると暇つぶしにスマホを隠れて見て時間を潰すしていた。

書類を見るふりして、上司の顔色を窺っている内に、短髪の上司が誰かに似ている事が気にかかって、「短髪、俳優」で検索し始めた。

あれやこれやと一人で「この人じゃないな・・・」と真剣に探し続けていた。

「違うな・・・」

私は小さい声ながら呟いてしまった。

 

 隣に座る真面目な後輩が、私がずっと何かを検索していたのが気になっていたらしく、小声で話かけてきた。

「紺野さん、さっきからずっとスマホ見てますけど何探しているんですか?」

後輩がうるさいので、画像をそっと見せてやる。

「ぶーっ」

静まり返る会議室の中で、突然、後輩が噴出した。

他の職員からも注目を集めてしまった。

 

 当然、上司は唐突に噴出した後輩を睨みつけた。

「どうしたっ?」

真面目な後輩は慌てふためきながら立ち上がって、私を見つめてきたので目を逸らす。

もじもじした後輩は上司に問い詰められ、あたふたしていると、更に追い打ちをかけるように「豚じゃないんだぞっ」と訳の分からないことを言い出してきた。

会議中に、上司が「豚」と妙な例えを使った事が、私のツボにはまってしまい下を向いて耐え忍ぶ。

 後輩は更なる追及に音を上げ「紺野さんが、いきなり石原良純の写真を見せてくるんです・・・」と半泣きで上司に訴えた。

 

 上司の怒りの矛先は、当然ながら私に向けられた。

「なんで重要な会議中に、良純なんだっ。良純は関係ないだろうっ」

私はマズイと思いながらも、どうして石原良純さんを呼び捨てるのか?

恨みでもあるのか?と考えると、更に面白くなってしまい、くっと鼻から息が漏れてしまう。

 

 私は苦し紛れに言い訳をした。

「いえ、もし会社のCMを作るとしたら、イメージキャラクターは石原良純さんがいいかなって思ったもので・・・」

「意味わかんない、良純って」

上司も、朝から石原良純という不意打ちのワードにうろたえたらしく、口調が少々オネエ風でわずかに口元がヒクヒクとしていた。

「良純さんは、物事をはっきり言うし、天気予報で近未来を当てるイメージがあると思いまして・・・」

私の言い訳を聞いた上司もわずかに半笑いで「当たんねーじゃん。はっきりしているのは眉毛だけ、却下っ」と言って背を向けた。

 

 私は、このまま引き下がってしまうと、ただの言い訳となってしまう様な気がして繰り返した。

「ダメですかね?石原良純さんは良いキャラクターだと真剣に思うんですが」

「真剣に考えてどうするっ」

「会社の飛躍の為に考えていたんですが、良純さんを」

上司も薄ら笑いを堪えて「もういいよっ。朝から良純って言うなっ!」と半笑いで睨んでいた。

上司も嫌いじゃないらしい・・・。

 

 一方、他の社員、特に女子はまったく笑っていなかった・・・。

   

  コメディは難しい。

 

                                     

                                                                

コメディは難しい ①

  コメディは本当に難しい。


 かつて、私の尊敬してやまない、志村けん師匠は、「映像で泣かせるのは簡単だ」と、コント番組で無声の短編映像を放映した。

 志村師匠の意図を知らなかった私は、これをコントとしてみていたから笑いのないショートドラマに困惑したままインパクトだけがずっと残っていた。

 それがつい最近、私の友人と久しぶりに笑いについて話していた時(周囲から見ると病的らしい)、先に挙げた志村師匠の意図を教えられ驚愕した。
「人を泣かせるのは簡単だが、人を笑わせるのは、いかに難しいかを証明する試みだったいう」

 志村けん師匠が、どうしてここまでしたのか。
更なる詳細は分からないが、人の笑いのツボは多種多様であるが、悲しみは共感する部分が多いからであろう。

 人の死、不運、病気等は、私も経験した辛さ、悲しみであり、全く知らない人、職場の嫌いな人間でも途端に同情し感情移入てしまう。

 喜怒哀楽、全てを加味した上で、志村けん師匠は、今でもバカ殿をやり続けている。

 

 最後に、私は今ではバカ殿は見ていない....。
尊敬してやまない志村師匠ではあるが、お色気シーンが私は嫌いだ。

お色気シーンは、ドラマでも見たくない。
小説でも詳細に描写されていると気分が悪くなる。
特に「ノルウェーの森」は嘔吐寸前まで追い詰められた経験がある。

お色気は、専門のDVDしか見ない。
しかも、前半のドラマ仕立ては、大っ嫌いだ。
私は集中、集中したいんだっ。

インド映画の様に、なんでも詰め込めばいいってもんじゃないっ!

でも、セクシーDVDがミュージカル仕立てだったら興味も湧くっ!

 勝手に熱くなってしまって申し訳ありません。

しかし、笑いも同じ様な物で、人それぞれ好みがある様に、自分では面白いと思っても、他者には伝わらず、冷ややかで引きつった愛想笑いに、私は導いてしまう事が多々ある。

 そんな時は、誘い笑いで、ツッコミを要求、強要する。
それでも、無視されたら、「腹、痛い...」と言い出し同情を誘って、逃げを打つのである。

我ながら、卑劣だ...

                                   (終)