増税、還元、キャッシュレス。 そして明日は、ホープレス。

長編小説を載せました。(読みやすく)

コメディの難しさ③ (弱点編)

 最近、「宮下草薙」の漫才を好んで見ている。

草薙さんの奈落の底に落ちてゆくネガティブ思考が、飛躍しすぎて面白い。

 先輩にハワイに誘われただけで、「なんで誘われたんだろう?」から始まり、挙句の果てには「香港のマフィアに売り飛ばされるんだ~ぁ」と絶望して終わる。

このお二方を見ていると、ウディ・アレンを思い出す。

 

 ウディ・アレンを御存じの方は多いと思いますが、彼は自虐的なネタが持ち味だ。

自身がユダヤ人であること、また小男でハゲている貧相な容姿、不安でありながらも知的を過剰に装う事をネタにしている。

アメリカではタフガイがモテはやされ、ウディ・アレンの容姿はからかわれる対象になる。

 しかし、ウディ・アレンがすごい所は、自分を常に客観的に観察しているところだ。

彼はラジオにネタを送り始める事から始まり、その後コメディアン、映画監督として名を馳せる。

自身の監督作品でも若い時から、自らが主演を演じてきた。

自分が情けない容姿であることを逆手に取り、常に怯えたりどもったりして、観客の笑いを誘う。

 

 私が特にウディ・アレンがすごいと思った作品は「ゼリグ」(邦題では、カメレオンマン)。

1983年に公開された作品で、ドキュメンタリータッチのモノクロ・コメディ映画。

ウディ・アレンが演じる主人公・レナード・ゼリグは神経衰弱者であることにより、歴史上の出来事の中で様々な出来事に巻き込まれてゆくストーリー。

 もう少し分かり易い例えでは、1994年に公開された「フォレスト・ガンプ」がこの手法を真似、もしくは類似しているといえばわかりやすいかもしれない。

 

    ※「カメレオンマン」は爽やかではない。

 

 私は、「カメレオンマン」をたまたま夜中のテレビで見てから、ウディ・アレンのファンになってしまった。

人間、ほとんどの方がなにかしらコンプレックスを持っていることと思う。

私も、学生の時などは自分の弱さが許せなくて仕方なかった。また、容姿の事だったり、他人と比べれば比べる程、嫌な自分に出くわして落ち込んだりもした、する。(今でも)

 そんな時、ウディ・アレンの作品を目にしたことで、強さが全てではないという事を知った。

彼は巧みに自身の弱点を知り尽くし、それを最大の長所へと変貌させた。

 

 アメリカのみならず日本の社会でも、強者にあこがれ弱い者を蔑む風潮が未だある。

誰にでも、言い訳がましい逃げ口上を言ったり、家族の為、なんからかの主義の為とか理由をつけて自身の弱さを隠しているにすぎない。

 私自身も自分の弱さを知る機会に出くわすと、心の中で自身をなじることが多々ある。

本当は、そういった弱い自分を受け入れなければならないのだが、なんでもないかの様に隠そうとする。

また、自分より更に弱い者を見つけて、自己の優位性を見出そうとする。

悲しかな、いじめる側の行動にも、家庭などその背景に心理的問題を抱えていることが多い。

 

 ウディ・アレンがすごい所は、自分の弱さ、コンプレックスを受け入れているところだと思う。

私も緊張したりビビったりすると、今でも自分が嫌になる。

 

 だが、ウディ師匠はみすぼらしい自身を笑い飛ばしている。

これを習い、私も自身が緊張したり不安になったりした時は、プロレスの実況中継の様に解説する様にしている。

 

「さあ、サンダー紺野選手、会場入りして試合前からビビってますね~っ。誰も注目もしてないのに勝手に緊張してます。自意識過剰により自身の首を絞めてます。まだゴングが鳴っていないのに、ぶっ倒れそうですね~っ。試合前から勝手に倒れて負けるという、学生プロレスの様なファイティング・スタイルなんですかね?」と・・・。

 

 「宮下草薙」の漫才は、自身を観察する事を思い出させてくれるが、いい年をしても未だ上手く短所を長所に変えられていない。

 

コメディの難しさ、客観的に見つめる視点なのかもしれない。