増税、還元、キャッシュレス。 そして明日は、ホープレス。

長編小説を載せました。(読みやすく)

【 死に場所 】place of death 全34節【第一部】(16)~(17) 読み時間 約10分

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   (16)

 それから三日間、毎日松次郎が弁当を持って来て、仙蔵の汚れた着物を持って帰った。

翌日、松次郎がぼろ小屋に来た時に、通行手形を渡された。

「少しはどこへ行きたいか思い付いたか?一応、伊勢詣りって事にしてある」

松次郎は往来手形の書状を広げて仙蔵に見せた。

「とりあえず、江戸に出ようと思う・・・」

松次郎はふと微笑み、「そうか、それりゃいい。わしも一度は見物してみてえな」と煙管を取り出して火をつける。

 仙蔵は懐に仕舞っていた金子を取り出した。

「松さん、やっぱりこれ返すよ・・・」

服紗包を床の上に置いた。

「どうしてだ」

松次郎はいぶかしんで仙蔵を見つめる。

「松さんはおいらが死んだら身が引き裂かれる思いだと言ったね?」

「ああっ・・・」

「この銭をもらってしまったら、松さんの生活だって苦しくなるに決まっている。それを思うと、おいらも後ろ髪引かれて辛いし、気になって村を出られなくなりそうなんだ。だから受取れない」

 松次郎はそれでも仙蔵に渡そうと押し付けた。

「馬鹿言えっ、わしはたったそれっぽっちの金をお前さんに渡したところで痛くもかゆくもねえ。見くびるな、持っていけ」

「出来ねえ、そりゃ出来ねえよっ。おいらが出て行った後、松さんだって猪吉から何されるか分からねえじゃねえか」

仙蔵は包みを押し返す。

「ははっ、そんな事は屁でもねえ。わしはいつでも訴え出れるんだ。連判状だってすぐにでも取れるから安心しろ。わしが怖えのは、おめえが猪吉と刺し違える事と、また凶作になった時、お前さんも一緒に村に残って共倒れになる事だ。あんな奴のために死罪になんてなるな、馬鹿馬鹿しい。だから、場所を代えて、どっちかが生き延びればいいじゃねえか。畑だってそうだろう、蕎麦植えたり蚕の桑をやったり、煙草作ったり、葡萄やったり。一つの作物に全部突っ込んで駄目だったら、全部駄目だ。それと同じと考えろ」

松次郎は煙管を手に打ちつけ灰を地面に落とし、くるりと回して肘枕で寝転んだ。

「分散させりゃいい・・・いずれ、仙蔵が落ち着いたら、わしも江戸見物が出来るしな」

 後には引かない松次郎に、仙蔵は腕を組んで頭を垂れる。

「御参りするにしても、手ぶらで行く訳にもいかんだろう。だから持ってけ、なっ?」

「そりゃそうだけど・・・それなら一両だけ。これを奉納金として預かる事にする」

仙蔵は折り合いをつけようと小判を手に取って、松次郎に見せた。

「旅費はどうする、宿だってただじゃねえぞ」と松次郎は残りをぐっと押し付けた。

「でも・・・」

それでも渋る仙蔵に松次郎は、次第にいらいらしてきた。

「これはお前さんの土地と家を借りる金だ。じゃあ、十年借りる約束でどうだ。もし、お前さんが五年で帰ってきたら、半分の二両半返してもらうって事で」

「だから、あの土地じゃそんな価値はないよ」

「頑固だな・・・じゃあ一両でいいんだな?」

仙蔵はこくりと頷いた。

「これを納めてくる。何から何までありがとう」

松次郎は納得できないという風に起き上がり、固く目を閉じたり額をぼりぼりとかいたりして仙蔵を見つめた。

 互いにとって、門出を祝うものではない。

伊勢参りや江戸の大きな神社仏閣に奉納祈願となれば、村人総出の見送りと集めた金を持っていくのが常で、皆の期待を背負って行くものだが、気は重く溜息が漏れる。

「いつ立つ?」

仙蔵は手形に目を向けた。

「ここにいても仕方ないから、明日の朝一番・・・・」

今一度、松次郎は溜息を大きく吐きうなづいた。

「そうか、そうだな・・・こんな処に長居は無用だ。分かった、旅の支度を明日の朝持ってくる。何か持ってきて欲しい物はあるか?」

「家にある着替えを二、三日分と若竹色の巾着が財布なんだけど、お願いします・・・」

松次郎は仙蔵の顔を覗き込む。

「たったそれだけでいいのか、他に金目の物とかないのか?」

「あと、道中差しが仏壇の棚に入っているから、それもお願いします。その脇に八百文ぐらい入った瓶があるから使って。小銭だらけで重くて持って行けない」

「だったら、もう一両持って行け」

松次郎は小判を差し出した。

「おつりがないよ・・・」

「あほかっ、わしは両替商じゃないんだぞ。そんな細かい勘定なんていらん。いいから持ってけ」

仙蔵は小判を両手で受取り頭を下げた。

「有難う・・・」

「礼なんていい。帰って支度するから、これで帰る。じゃあな」

松次郎は思い腰を上げて立ち上がった。

「何から何まで済まない」

仙蔵は正座をして、松次郎に頭を下げる。

「よせ、お前さんが悪いんじゃない、悪いのは猪吉だっ。今は騒動の後でばたばたしているが、その内状況も変わるっ。騒動を見て思った、飢饉のたんびに五万、十万と死人が出る世の中は長くは続かねえってなっ。押し寄せる筵旗と松明を見て、恐ろしさの反面、わくわくした。先の事は見えねえけど、一万の民百姓が役人を蹴散らした事は、善くも悪くも四方に知れ渡るだろうよ。だから、場所を変えてみりゃ見方も変わるかもしれねえ。だから、くれぐれも早まるな・・・」

松次郎は仙蔵に背を向けたまま荷物を手繰りで取り、戸を開いて振り返る。

「済まねえのは、わしの方だ。もっと良い方法があったかもしれねえのに、お前さんばかりが辛い思いで村を出るはめにしちまったんだ・・・本当に済まねえ」

「松さんが謝ることじゃないよっ」

仙蔵は深々と頭を下げて涙を土間に零す松次郎に近づこうと立ち上がった。

「許してくれ、湿っぽくなっちまって。またいつ会えるのかと思うと名残惜しくてな・・・あと、荷物の中にかみそりが入っているから髭を剃れ。じゃあな、明日の朝来る・・・」

松次郎は飛び出すように小屋を後にした。

 仙蔵も後を追い、外に出て松次郎を見送った。

再び、仙蔵の中で猪吉を殺してやりたい衝動に駆られたが、松次郎の遠ざかる姿が語りかける。

なにも、罪人になって死ぬことはねえ・・・どのみち死ぬなら、外に出ろ。見方が変わるかもしれねえ、それまで時を稼ぐんだと。

 

 仙蔵は松次郎の姿が見えなくなると、張り詰めていた気が抜け、涙が溢れ出てきた。

耐え切れず、堰を切った様に嗚咽が止まらない。

泣きながら、仙蔵自身これほど泣けるものなのかと思う。

自分が気の毒だと思うと、更に気持ちに収拾がつかなくなり、幼少の頃、父母の事、松次郎との雉狩り、蕎麦の実の買付け、芽吹いた喜び等々が一度に頭の中に渦巻く。

もう二度と戻れない。そうと思うと仙蔵は座っている事もままならず、わーっと声を響かせ、地面にうづくまる。

最後の抵抗とばかりに大声を上げ、吐き出すように泣き続けた。

 

   (17)

 仙蔵の眠りは浅く、寝たり起きたりしている内に朝が来た。

気鬱な体を起こす。今日で村とも別れるとなると、すぐに立ち上がる気にもなれない。

ぼーっと格子窓の外に目を向けた。

支度は松次郎が持って来てくれるから、後は出て行くだけだった。心構えというものがないから、これから旅に出ることすら実感が湧かない。

 気だるさから抜け出そうと、仙蔵は裏の沢で顔を洗らい髭を剃ろうを外へ出る。

風がびゅーと吹きつける師走下旬の寒さに身を縮め、足場の悪い沢の水を汲むと手が凍りつきそうな程冷たい。それを顔に浴びせ、ぶるっと身を捩(よじ)りながら髭を剃っていると小屋に通ずる道を踏みしめる音が消えた。

仙蔵は顔を拭いて小道を覗くと、風呂敷を背負った松次郎がいた。

「おはよう」

「さっぱりしたな。これでも荷を軽くしたつもりだが、冬だから仕方ねえ・・・」

二人は小屋の中に入り、松次郎は風呂敷を開いた。

着物や菅笠、合羽、脚絆、着物など次々に仙蔵に渡す。

「ほら、早く着ろ。時なんてあっという間に過ぎちまうからな。それと、財布ってこれか?」

 小銭が入った若竹色の巾着。

松次郎は今一度、巾着に顔を近づけてじっと見る。

「随分と綺麗な生地使っているけど、おふくろさんの形見か?」

仙蔵は巾着を受取ると首を振った。

「そうじゃないけど、思い出の品って言ったら、そうなるのか・・・」

仙蔵はじっと見つめ、自嘲して鼻で笑う。

「ふっ、もう形見になっちまうのか、あっけねえ・・・」

溜息を吐き、仙蔵は巾着を懐に仕舞う。

松次郎は女物の生地から察し、それ以上聞くことはぜず着替えを急かした。

「ほら、寒いからこれも着ろ・・・」

仙蔵は着物も新しい物に取替え、股引きを履こうとすると、「ふんどしも汚ねえだろう。それも取り替えていけ」と松次郎に止めれられた。

仙蔵は自分の股間に目をやると、松次郎の手前もあって「これでいいよ」と断った。

「良かねえよ、旅立つ時は身奇麗にしておかねえと縁起が悪りいぞ」

「そうなの?」

仙蔵は面倒臭そうに松次郎に目を向けた。

「今思いついた」

「なんだ、嘘か・・・」

松次郎は辺りをくんくんと嗅ぎ出す。

「う~ん、何か臭せえ。小屋全体が匂う。やっぱり、臭いの出所はお前さんだ。そんな臭いを放って歩いていたら熊に殴られるぞ」

「臭くて熊に殴れられたって話も聞いたことがないよ、それも嘘?」

仙蔵は怪しんで目を細める。

「嘘じゃねえ。わしのじいさんが山菜取りに行った時、急に用を足したくなってしゃがんでいたら、熊が鼻を摘みながら殴りかかってきたらしい」

松次郎はにやりとして仙蔵を見た。

「そんなことあるかい。熊の手は爪がすごいから、自分の鼻を傷つけちゃうよ」

「じいさんが逃げると、熊の奴、鼻血を流しながら追っかけて来たって言ってたっけ。恐らく、鼻に指が入っちまったんだろうよ。随分と間抜けな熊だよな、小仏峠の鼻血熊って言ったら知らねえもんはいねえ。はははっ」

松次郎の馬鹿話に仙蔵も鼻で笑いながらも、笑みが戻る。

「ふっ、くだらねえ。着替えればいいんだろ」

仙蔵は小屋の奥でふんどしを換える。

「熊で思い出したんだが、これ圭助が餞別に持って行って欲しいってよ」

松次郎は懐から皮袋を取り出して渡した。

「なにこれ?松さん、おいらの事を圭助に言ったの?」

「あいつぐらいには教えてやらねえと可哀相だろう、大体の事情は話した。あの馬鹿とおきつさんはものすごく泣いてな。『すまねえっすまねえっ』って言ってた。あと、体に気をつけてと。あんまり泣くもんだから、こっちももらい泣きしちまったよ。あいつのせいじゃねえ事を説得するに小一時間もかかった・・・一目会いてえって言ったけど、お互い辛くなるから、託(ことづ)けとその熊の胆(い)らしい物をよこした・・・」

 仙蔵は溜息を吐き、皮袋から中身を取り出して掌に載せた。

「そうだったんだ・・・それにしても、これ結構でかいよ。本当に熊の胆?熊の糞じゃないの?」

仙蔵は恐る恐る、掌の黒くて丸い物体に鼻を近づける。

「さぁな・・・」と松次郎も興味津々に覗いている。

「乾燥しているからかもしれないけど、少し生臭い様な・・・松さんも嗅いでみる?」

松次郎は手を振って断った。

「わしゃ、いいっ。でも、まあ、それが熊の糞だろうが、圭助は本当にそれが熊の胆だと思って、そりゃ大事そうに持ち出してきたんだ。何かあった時に使ってくれって言ってた。折角だから、お守りがわりに持っていけ」

 仙蔵も頷いて「そうだね、もしこれが本物だったら二三両になるんだから。二人の気持ちだと思って、有り難く貰っておくよ」と黒い物体を元の皮袋に入れて荷物の底に仕舞う。

仙蔵は股引やら脚絆、合羽を着込み準備を整え、振分け荷物を肩にかけると、案外時間がかかった。

「薬入れは腰に下げていた方が、すぐに使えるぞ。中に仕舞っちまったのか?」

松次郎は子供の外出を手伝うように世話を焼くと、仙蔵は荷物の中から取り出すのも面倒で「大丈夫だよ、すぐに出せる所に仕舞ったから」と荷物を降ろそうとしなかった。

松次郎は呆れた様子で「横着するな。もし暗がりで腹でも下して、急いでいたらどうする?間違えて圭助の熊の糞を飲んじまうぞ」

「すぐに分かるから、そんなに心配しなくていいよ。そうだ、紙と筆を持っている?ちょっと圭助に伝えたい事がある」

松次郎は帳面を破いて、筆と一緒に渡す。

 仙蔵は熊の胆らしき物をもらった礼を綴る。

「天から魚が降ってくる様な、滅多にない縁談を逃がす事になった不幸を許して下さい。ついては、おさよ様に、仙蔵は信州のさる裕福な家に婿に入る事になったと伝えて下さい。決して、一連の事は申さず破談にしてくださいますようお願いします。

 最後に、夢の如き一日はやはり夢に終わったが、望みのある事がいかに気持ちを楽にさせ、生きる糧となるかを知った」と謝辞で筆を止めた。

 松次郎は文を書きながら落胆してゆく仙蔵が痛々しく、自分の不甲斐なさに溜息が漏れてくる。どうしようもないと自らに言い聞かせ、仙蔵から受取った書付を帳面に挟む。

松次郎は気を晴らすように「ちゃんと薬入れを付けたか」と腰に目を落とす。

仙蔵はあからさまに面倒であると渋面で「腰に下げなくても大丈夫だよ」と首を振った。

「いいから、下げておけっ」

松次郎がぐいと荷を引っ張った。

「分かったよぉ・・・」

仙蔵は拗ねた調子で荷を降ろし、中から薬入れを根付に引っかけて腰に付けた。

「今は行倒人や、埋葬もされてねえ死体が道中の草むらなんかに捨てられているそうだ。疫病が流行っているから用心にこした事はねえ。体壊したら元も子もないぞ」

松次郎は念を押し菅笠を渡す。

 仙蔵は松次郎に挨拶をしようと顔を見る。

松次郎は無理して明るく送り出そうと、目が一本の線なる程満面の笑みを浮かべている。

 今生の別れになるかもしれない・・・。

仙蔵も負けじと顔がくしゃくしゃの笑みで応える。

「いろいろと有難う」

仙蔵は表に出て、菅笠の紐を顎の下で締めた。松次郎の顔を見る事が辛く、深々と頭を垂れた。

「今まで有難う。松さんの子供の弔いと圭助や皆の分の御多幸をお祈りしてきます・・・」

 仙蔵は菅笠で顔を隠し、踵を返す。

一人旅、もう二度とは戻れないだろう。そう思えば思うほど離れがたいが致し方ない。

思いを振り切って歩き出す。

「仙蔵~っ!」

松次郎の涙声に、仙蔵は足を止めたが振り向けない。

先も見えぬ独り旅。振り返ったら涙が止まらず、旅立ちの不安から決心が鈍りそうだった。

「元気でな~っ、落ち着いたら文を出せよ~ぉ」

仙蔵はわずかに肩越しに振り返り、菅笠の隙間から松次郎の様子を窺う。

大きく手を振りながらも、手拭で顔を覆っている。

仙蔵は松次郎のもとへ戻る訳にゆかず、ぐっと堪え「必ず、文を出すからっ。有難うっ」

半身を松次郎に向け手を振った。

「仙蔵~っ!」

仙蔵は頷いて、断ち切る様に小走りで甲州道中に向かう。

 

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         【第二部】(18)へ続く・・・。