増税、還元、キャッシュレス。 そして明日は、ホープレス。

長編小説を載せました。(読みやすく)

【 死に場所 】place of death 全34節【第一部】(13)  読み時間 約10分

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  (13)

 翌日も、仙蔵は村人の前で見せしめに背中を押され歩かされる。

いつもの小屋に連れて行かれ、辰次たちの博打を眺めるしかない。

その時間は途方もなく長く感じられた。

 何も訊かれず時だけが過ぎ、仙蔵は辟易とした日々の繰り返しに、とうとう我慢できず辰次に切り出した。

「もう、うんざりです・・・毎日毎日、村中を引き回されて、一日中ここであんたらの博打を眺めている。さらし者にされるくらいなら、陣屋に連れてけ。そんで吟味を受けさせろ・・・。おっ、おいらは、もう村へ帰らない。帰ったとしても陣屋に駆け込んでやるっ」

 辰次は博打の手を止め、仙蔵を睨む。

「がたがたぬかすんじゃねえっ!陣屋に駆け込んだら、あの百姓代の親父もしょっ引いてやる」

「そんな事できる訳ないだろうっ」

辰次は格子の付いた窓の外に目を向けた。

「十日ぐらい前も、別の村の名主が一揆勢に炊き出しをして、手鎖三十日の刑になったばかりだぜ。そう言やぁ、おめえの村も炊き出しをしたって噂が上がっているんだ。百姓代がやったのか・・・」

辰次はゆっくりと振り返り、後光を背にして意地悪く微笑む。

仙蔵は松次郎までも巻き込まれてなるものとかと、辰次に歯向かって立ち上がった。

「違うっ。松次郎さんは竹槍でも鉄砲でも持って打ち払おうと言ったんだ。それを臆病者の猪吉が炊き出しをして荒らされないようにしたんだっ」

「そんな事知ったこっちゃねえ・・・今後の事をどうするか決める。良いって言うまで、この小屋にいろ。ただし、勝手に抜け出したら、その松次郎とやらも引っ張るからな、頭に叩き込んでおけ・・・」

「松さんは関係ないっ。おいらだって咎めを受ける覚えはないっ。正々堂々、吟味を受けるつもりだっ。それをするのがあんたの役目だろうっ!」

辰次はさいころを懐に仕舞うと、ツボを手下に渡して立ち上がった。

「うるせえっ!とりあえず、ここで待ってろ。勝手に抜け出して離村したら、おめえの田畑と家を没収するだけじゃねえ、人別帳から削除して無宿人にしてやる。そんで、おめえの人相書を宿場、関所、各村にばら撒くぞっ。おいっ、おめえらも来いっ」

辰次は機嫌悪く、手下二人を引き連れ小屋の戸を開いた。

立ち退く際に振り返り、目を細めて力を入れた。

「てめえっ、二度と俺に指図するんじゃねえっ。小屋の裏に沢が流れているから、そこで水でも飲んでろっ」

そう言うと戸を力一杯閉めて出て行った。

 

 「なんで、こんな目にあわなきゃなんねえんだ・・・」

仙蔵は取り残された小屋で呟いた。

辰次はどこへ行った、陣屋の牢に繋がれるのか。

 松次郎が言っていた事がよみがえる。

牢に入れられたら獄死もあり得る。でも、いつ終わるとも分からぬままさらし者になるより、しっかりとした吟味を受けたい。お咎めなしと放たれる以外、科人(とがにん)の濡れ衣から脱する術はない・・・。

 全ては、猪吉の仕業だっ。

小太りで右の目尻の大きな黒子がにやりと笑っている様子が目に浮ぶ。

かっと頭に血が駆け上り、辰次達が博打の札に使っていた板切れを壁に投げつけた。

「くっそっ!」

辰次に待てと言われても、どうせロクな事はないのは分かっている。

新たな手下を連れてくるか、別の場所に移されるかのどちらかだ。

ならばいっそ陣屋に走り、吟味でも裁きでも受けたいが、松次郎の事を思うとどうにもこうにもならず、埃臭い小屋の戸を開けた。

 朝に見た重く垂れ込めた雲は過ぎ去り、青く広い。

塵芥に塗(まみ)れた世から飛び立てと、氷川様の思し召しとすら思える。

とんびが仙蔵の頭上を横断する様が勇壮果敢に映る。うらやましさから、その行方を辿り見上げたまま、ふらふらと後を追う。

 遠方に過ぎ去る鳥影が消えてなくなると、望みが失せたように溜息が漏れた。

目の前は、うっそうと茂るすすきの一帯。風に撫でられざんざと音に取り囲まれる。

恐らく、その先は沼地か川が流れ、行く手を阻んでいるだろう。

肩を落した仙蔵は松次郎を思い小屋に目を向けた。

 朽ちた小屋の中に入る気にもなれず、仙蔵は自分の背丈ほどもあるすすきの揺れる様を自分と重ね合わせ一人佇む。

身に降りかかった一連の出来事が理解できず、ただただ悔しさが込み上げる。

 所詮、土地やしがらみ、しきたりに縛りつけられた貧乏百姓は、風雨に晒されても耐え忍ぶだけなのか・・・。傍若無人に振舞う奴等がいけしゃあしゃあと安穏と暮らしている。食うに食われぬ民百姓が年貢を減らせと立ち上がれば、横から悪党が頭取にすり替わって跋扈する。

お上は、一蓮托生同罪だと罰し、巻き添えを食らって切り殺されるか獄に繋がれる。

 お上に罪はないのかっ。陣屋の代官も役人も、猪吉なんてもっと罪深いじゃないかっ。

この世は辛い事が多いのに、互いの辛さを押し付けて助かろうとしている。

その割りを食うのが、黙って我慢しかできない大人しい者・・・。

 理不尽な世だと嘆くものなら罵られ、置かれたその身で尽くせと言う。

尽くした果てに実らぬならば、弱肉強食、人の定めと誹(そし)られる。

弱くて、貧乏に生れたい奴なんている訳ねえっ。生まれ変われるもんなら、大名か金持ちの家に生まれたいと願うだろう。

 天下を取った太閤秀吉だって、生まれ変わったら、再び身を立てられるなんて分かりはしない。

農民から刀を取り上げたのも、自分と同じような者を潰すためだ。

それこそ理不尽じゃないか、滅茶苦茶だ・・・。

こんな世が続くなら、早く滅んでしまえ。

畜生・・・

 

 落胆と怒りが次から次へと勃興去来し、取り止めもない苦痛が頭を締め付け身を屈めた。

脱する方法を考える前に、いかなる出来事がこの先あるのか。詰まるところは死なのか。

恐くなり身が竦(すく)む。逃げれば、自分ばかりでなく松次郎にも害が及ぶかもしれない。

これが死ぬまで続くのか、更になる窮状が押し寄せる様な想念に押し潰されそうになる。

仙蔵は頭を抱え、祈りを捧ぐ。

「神様仏様、助けて下さい・・・」

 

 小屋へ続く小道の方から声が聞え、仙蔵は即座に立ち上がる。

辰次と手下に続いて、猪吉がなにやら話をしながら歩いてきた。

仙蔵はもはや殺されると拳を握り絞め、猪吉一人を睨みつけ、腹を括(くく)る。

辺りを見回すと棒切れが一本落ちている。

 猪吉も仙蔵の殺意が届いたのか、風に吹かれて身構える仙蔵に立ち止まる。

辰次と手下も仙蔵の只ならぬ形相に動きを止めた。

 猪吉は「ちょっと二人で話がしたい」と言い、小さく頷いて合図を送る。

辰次も頷き、手下を連れてどこかへ行った。

 

 猪吉が近づいてくる。

仙蔵は怒りに震え拳を握る。

呼吸と鼓動は激しく、今まで感じた事がない程血が沸き立ち、自らも死を覚悟する。

 殺される前に殺すしかねえ・・・

猪吉は仙蔵からさっと目を逸らし、小屋に目を向けた。

「寒いから、中で話そう・・・」

「うるせえっ、よくも役人に手を回しやがったなっ!」

仙蔵は咄嗟に棒切れを拾う。

こいつが死ねば、全てが変わるっ。これこそ本来の救民の為の蜂起っ。

後はどうなってもいい・・・

猪吉の顔は真っ青になりながらも、吸い込まれる様にふらふらと瞬きもせず、仙蔵に歩み寄る。

「俺を殺したって構わない・・・けど、話を聴いてからでも遅くはない」

仙蔵も何かに憑りつかれた様な猪吉に身が震え、棒切れを振り上げる。

「てめえの話なんぞ、ロクでもねえっ」

「お前は何も分かっちゃいねえっ」

「うるせえっ!」

仙蔵は棒切れを猪吉の額目がけて振り下ろす。

 

 猪吉は額を押さえて、地べたにうづくまった。

仙蔵はとどめにもう一撃喰らわせようとしたが、棒切れは朽木で折れてしまっている。

「こっ、殺すなら殺せーっ!」

猪吉は血を流しながら顔を上げ、仙蔵に訴える。

「おめえはなんも分かっちゃいねえっ!」

仙蔵は折れた朽木を放り捨て、倒れ込んで見上げる猪吉に飛びかかる。

「何が分かってねえんだっ!」

仙蔵は殴り殺そうと馬乗りになり、猪吉の着物の襟を掴む。

「俺に借金をした村の連中の事も、なんもかんもだっ」

「借金した連中だとっ」

仙蔵はすぐさま圭助の顔が浮ぶ。

「圭助がどうかしたってえのかっ」

猪吉は襟を捕まれたまま、「けっ、圭助は、お前が知っての通り、町場でこしらえた呑み屋のツケを俺が肩代わりした。圭助の事なんかより、もっと他の連中だ・・・」

「誰だっ」

「使用人にした宗八・・・あいつをなんで使用人にしたか知っているかっ」

額から流れる血を袖で拭いながら、猪吉はぜいぜいと息を切らしながら訴える。

「宗八がなんだっ」

「あっ、あいつは博打狂いで、鰍沢(かじかざわ)の賭場にまで出入りしていた。それで、博徒に金を巻き上げられた上に借金だ。宗八の田畑が博徒に取られそうになっていたのを、辰次が教えてくれた・・・内密に役人が間に入ってくれて金額を減らしてもらった。俺が宗八の借金の肩代わりして、何とか手を打った。もう二度と博打をやらせねえ為に使用人にしたっ」

 仙蔵は猪吉の襟をずっと握り絞め、手が痛くなってきた。

長い言い訳に怒り冷めやらず、頬に一撃を食わらせる。

「宗八は関係ねえだろうっ!」

「ぐうっ。あっ、あいつの借金を肩代わりしなければ、博徒に縄張りだと村を荒らされる。それに、寅吉・・・。あいつの田んぼは宗八の隣だ。あいつは働かねえから、割り当てられた米を納めねえ。その不足分はずっと俺が工面してきた。最初は有難がっていたけど、そのうち当たり前だと思い違いして、積もり積もった不足分を返そうともしなくなった。そのまま放置するわけにはいかねえ。金を返せと言えば、他から借金をするだろう。博徒や高利貸しに借金をしたら村を切り取られてしまうんだっ。だから、寅吉を小作にした・・・」

猪吉は血を拭いながら、他にも小作農にした村人の経緯を話した。

 仙蔵は手が痺れ、猪吉を放す。

「他の奴等はどうでもいいっ。おいらはおめえにビタ一文借金も借りも何もねえぞっ!それなのに、どうしてさらし者にしやがるっ!」

猪吉は袖で額の血をぬぐう。

「去年も、この前もそうだった・・・おめえは宴会の時、皆と一緒に楽しくやれればいいと言った・・・」

「それの何が悪いっ、皆で辛い時も助け合って暮らせばいいだろうっ」

 猪吉は血を押さえながら睨み上げる。

「その夢みてえな方便が気にいらねえ・・・人にはそれぞれの立場ってもんがあるんだっ。俺だって博打狂いの宗八やぐうたらの寅吉の借金の肩代わりなんてしたかなかった。のんべえだった圭助だって、俺が肩代わりしたから変わったんだ。病気の家族持ちに誰かが金を貸してやらねばどうなるっ、死んでしまうと涙ながらに訴えられて放って置けるかっ。仙蔵っ、おめえが金を貸してやれたかっ?俺は村を預かる名主だっ。離村の責任も年貢のお咎めも全部俺なんだっ。こんな千年に一度の、一万人もの百姓悪党が国中を壊し回って、全国で十万人が餓死する生き地獄のような理不尽な世で、名主なんてやりたかねえっ!おめえに分かるかっ?俺は、俺はなぁっ・・・何度も代官に名主役を降りたいと隠居願を届け出た。だけど、俺の倅は体が弱い。役人に借りた金で、あいつらの借金の肩代わりをしているから却下されたままだっ。それをおめえは、楽しくなんて言いやがったっ!おめえは一度でも俺の立場になって物を考えたことがあったか?俺はもう嫌だっ、殺せ、死んだ方がよっぽど楽だ・・・」

 猪吉は全てを吐き切ると鼻を啜り、仰向けのまま空を見上げううっとしゃくり上げて涙を流した。

「なんも知らねえで好き勝手なことを言っている、おめえが大っ嫌れえだっ!」

猪吉はうわーっと声を上げ、土を掴んで仙蔵に投げつけた。

乾いた土塊は、仙蔵の胸元に当たって砕けた。

 仙蔵は血と涙を流す猪吉から目を逸らす。

「見ろっ!俺を見ろよっ、目を逸らすんじゃねえっ。これが有りのままなんだっ。天地がひっくり返らねえ限り、俺はくだらねえ借金を肩代わりして恨まれ、約束通り納められなかった年貢の課料金(罰金)を役人に納めねえといけねえっ。楽しくやれるもんなら、おめえがやれっ!」

地べたの枯れ草を引き千切っては捨て、子供の様においおいと泣き崩れる猪吉。

仙蔵は力が抜け、猪吉から離れた場所に座り、遥か遠い空を眺め続けた・・・。

 

 どれほどその場にいたのかも分からぬまま時が過ぎた。

仙蔵の中に負い目のような感情が湧く。

「何か手伝える事はないか?」

猪吉も泣きに泣いて慟哭も収まり、静かに顔を上げた。

「よっ、よくも、人を殺そうとしてそんな事が言えたな・・・俺が名主を降ろされて、おめえが名主となって借金背負うか。それとも、おめえが村八分になるか。どっちかだっ」

 思わぬ返答に仙蔵は聞き返す。

「なんだってっ?」

「言ったはずだ、俺はおめえが大嫌いだっ。うちの倅は体が弱くて、年中医者に見てもらわなくちゃならねえ。だけど、おめえはぴんぴんしているっ」

「そんな理屈で嫌われたんじゃ、堪ったもんじゃねえ。言いがかりもいいところだっ」

猪吉は額の血が止まらぬ様子を手で触って、血の付き具合を確認する。

「それだけじゃねえ。おめえは、たまに蕎麦だの雉(きじ)だのを取ってきて皆に感謝されて、俺は命乞いをした連中に金を貸したり助けたりしても憎まれるばかりだ・・・。俺が名主を降ろされたら、どうなると思う?散々こき使っただのと逆恨みされて村八分になるだろうよ、女房子供だっているんだぞっ」

 仙蔵は立ち上がって、すすきに近づき毟り取って投げ捨てた。

「だったら、皆に包み隠さず打ち明ければ良いじゃねえかっ」

「無駄だ、そんな事言ってみろ。そもそも金がねえから金を借りるんだ。返す当てもねえ者は、俺がきつく取り立てるだろうと思って村から逃げ出しかねない。そしたら、俺は貸し倒れだけじゃない、代官にも離村者を出したとお叱りを受ける。そんな事より、まだ俺を殺したいか?殺して、おまえが名主になるか?おめえが村に帰ってくるなら、その覚悟で戻って来いっ、俺はどっちでもかまわねえぞ。やれるもんならやってみやがれっ!」

 猪吉は額を押さえ、睨んだまま立ち上がる。。

「おめえが棒で殴った事は役人には黙っててやる。俺が圭助に旅の途中で使い込めって言った事を皆に言わなかった借りがあるからな・・・」

猪吉の憎しみが理不尽という他ない。全く道理の通らぬ事を言っている。

猪吉が名主を辞めさせて、自分が名主になって借金を背負うか村八分になるか・・・

こいつに何を言っても始まらない。狂気の沙汰としか思えず言葉に詰まった仙蔵は、猪吉に背を向けた。

やはり、殺すしかないのか・・・

仙蔵はどうにもならない状況に判断が鈍る。

 

 「猪吉さんーっ!」

只ならぬ様子に、辰次と手下が走って戻ってきた。

振り返った猪吉を見た辰次が声を上げた。

「どうしたっ、その頭はっ」

「なんでもない・・・」

猪吉は仙蔵にやられたとは言わなかったが、辰次は背を向けた仙蔵を見て察した。

「てめえ、この野郎っ!」

今度は仙蔵が辰次に襟首を捕まれる。

「太てえ野郎だっ、牢にぶち込んでやるっ」

仙蔵は辰次にされるがまま抵抗しなかった。

猪吉は痛みに顔を顰め「違う、転んだ」と辰次を諌めた。

辰次は額に当てる手拭から血が滲む様子を心配そうに覗いた後、仙蔵を引き寄せた。

「てめえがやったんじゃねえだろうなっ」

「仙蔵じゃねえ、そこの石に躓いたんだ」と猪吉が庇う。

辰次が納得いかぬと両者を見比べていると、「帰る」と猪吉は足取り重く来た小道によろよろと歩き出す。

「ただで済むと思うなよっ。俺が出て行く時にも言ったが、てめえはしばらくここに居ろっ。逃げたらどうなるか分かるなっ」

辰次は仙蔵の襟を力一杯引き寄せ、顔と顔が触れるほど近づいて恫喝して去った。

 

                             (14)へ続く。