増税、還元、キャッシュレス。 そして明日は、ホープレス。

長編小説を載せました。(読みやすく)

【 死に場所 】place of death 全34節【第一部】(10) 読み時間 約12分

  

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   (10)

 仙蔵はおさよと二人きりになると、再び無口になってしまった。

おさよは仙蔵の後ろに下がって歩くため、ますます話しづらい。

仙蔵はいつもの狩場へと、後ろに付いてくるおさよを気遣う。

「もう少しですから・・・」

はいと、おさよもこくりとうなづき付いて歩く。

 村外れの雑木林から小高い山の稜線が見えると、仙蔵は振り返った。

「足場が悪くなるから気をつけて。疲れたら言って下さい」

おさよは仙蔵に微笑み返す。

「これでも少し前までは、おきつさんと木に登っていましたから何の事はありません」

「そうですか、それは頼もしい」

二人は再び黙々と傾斜の続く山道を登っていると、岩場に差し掛かった。

大した段差ではないが、訪問着だと足元も厳しかろうと仙蔵は立止った。

「すぐ登った所なんですが大変でしょうから、ここで待っていてくれますか?じきに戻ります」

「すぐそこなら、わたしも一緒に行きます・・・」

仙蔵はおさよを見つめ、手を差し出した。

「では、お手を・・・」

おさよは一度仙蔵に目を向けると俯いたまま、言われる通り手を差し出す。

仙蔵は生まれて初めて女子の手を握り、躓かないように引上げた。

手を放すのも躊躇うほど、おさよの白い手が余りにも冷たかった。

「寒いですか」

「少し・・・」

おさよは、仙蔵の手からするりと引き抜いて困った様に自分で手を擦り合わせた。

寒い中連れて来たのは間違いだったかと気の毒に思い、仙蔵が足を止め困っていると

「お気遣いなく・・・参りましょう」とおさよは声をかけた。

 仙蔵は先に進んで雉を探す。

鳥の羽ばたく音や鳴き声を敏感に感じ取りながら、ゆっくりと木々に覆われた道を進む。

 目の前を雀が横切り、その方角に目を向けると「仙蔵さん、あれ雉じゃないですか?」

おさよがそっと仙蔵の耳元に囁いた。

珍しく仙蔵は確認できないでいると、おさよが西の方角に指した。

「ほら、あそこです」

「あっ、本当だ・・・良く気付きましたね」

二人からの距離ではまだ遠く、ひたひたと腰を屈めて雉に近づいた。

一旦、しゃがみ込み仙蔵は「ここから雉を見ていて下さい。場所を変えて狙います」と遠巻きに回り込む。

雉はさほど高い木に止まってはおらず、運よく狙える位置に来た。でも、距離は六間か七間(約11~13m)はあり、確実に仕留める自信がない。もう少し近づきたいが、その先は落ち葉が敷き詰められ足音で逃げられてしまう。

仙蔵はここから狙うと決め、背負った籠から矢を取り出し、弓に当て大きく息を吸い込み弦を引き絞る。

狙いを定めるが距離は遠く、いつもより力が入る。手ぶれが収まるまで息を止め、祈りながら矢を放つ。

 しゅっと空を切り、仙蔵が息を吐き出した後、キッとわずかな鳴き声と共にどさりと地面に落ちた。

「わっ、お見事ですっ。すごいっ」

雉を見ていたおさよが歓声を上げると、他の鳥が驚いて飛び去った。

仙蔵は落ちた場所を探し、射止めた雉の足を持ち、おさよに見せた。

「すごいっ、一回で当てるなんてっ」

大喜びのおさよは、大きく目を見開いて体を上下に弾ませ、仙蔵の腕を掴んでいた。

仙蔵も余りに喜んでくれるものだから、我ながら良い処が見せられたとほっと胸を撫で下ろし、にんまりとおさよを見つめる。

 二人の歓喜が一段落すると、静まりかえる森の中で、仙蔵はおさよに腕を掴まれている事に気づくと胸が高まりすぎて、どうして良いか混乱し、さっと身をひいた。

「ごっ、ごめんなさい。つい嬉しくて・・・」

「いえっ・・・」

互いに戸惑いを隠そうと顔を逸らし、仙蔵は上空の木漏れ日に目を向けた。

「あっ、余り遅くなってもいけませんから、これくらいにしておきましょう。つい最近、村の宴会で雉鍋をしたんですが、それが大そう美味かったんで、おきつさんに作ってもらいましょう」

「もったいない、こんな時分に貴重な食べ物ですから頂けません」

おさよは自ら男の腕を掴んでしまった事が恥ずかしく、大きく手を振って断った。

「今日、おさよさんが来るって分かっていても、恥ずかしながら持て成す物が全くないんです。だから、鯉か雉どっちか取れれば良いと考えていたんです」

「でも・・・今はどこでも食べ物は貴重ですし、何日分にもなります」

「後生ですから、おいらの顔を立てて下さい。団子だって高価な品です、もらいっ放しじゃ面目が立ちません。それに、おさよさんが来るって考えたら緊張して何も食べてないんです、団子以外は。腹も減っているから一緒に食べて下さい・・・と言っても、おきつさんが作るんですけど」

仙蔵はおきつの顔を思い浮かべながら、少しひねて笑う。

それにつられ、おさよも俯き加減に口元を押さえ、笑いを堪えて呟いた。

「分かりました。早く戻らないと、またぷんぷん怒られちゃいますからね。では、御相伴にお預かりします」

 二人は来た道を辿り、 再び、岩場に指しかかる。

仙蔵は先に降りておさよに手をそっと差し出した。

おさよは、仙蔵の手と顔を見て、ほんの束の間躊躇いを見せるが「お世話かけます・・・」と自らの左手を差し出す。

仙蔵はおさよの手を取り、左足から先に下りるように言うと、覚束ない足取りで仙蔵の手に体重がかかった。

仙蔵も倒れてはいけないとぐっと手を握り、右足が降りるまで足元を見ていた。

おさよは着物の裾を気を付けながら、平坦な場所に降り立つ。

仙蔵はおさよの手が温かくなっている事に気付いた。

おさよは安心したのか、手を握ったまま着付けの乱れを整えている。

仙蔵はおさよの横顔に目が向くと、途端にかぁと熱くなり、自分の手に妙な汗が滲む気配を察して、さっと放した。

「では、参りましょう・・・」

仙蔵は普段使い慣れない言葉を使ってしまったと、己の動揺ぶりが恥ずかしくなった。

そして、急にもう一人の自分が嘲笑っているような気になって、それがまた動揺を大きくし、おさよを置いて足早に歩き出す。

冷静にならねばと注意が逸れ、木の根に足首を引っかけ、つんのめってどさりと転んだ。

「痛えっ」

 おさよは、後ろから仙蔵が転ぶ瞬間を見て、小走りで駆け寄る。

仙蔵はみっともない所を見られ、痛恨の極みと目を瞑って悔やむ。

「大丈夫ですかっ、お怪我はございませんか?」

「だっ、大丈夫です・・・」

仙蔵はさっと身を起こして立ち上がろうとすると、おさよが手を差し出している。

「どうぞ・・・」

おさよは口元と揺れる肩を隠し、仙蔵の視線を避けていた。

どうにもやりきれない仙蔵は、「ははっ・・・おいらの方が転んでりゃあ世話ないよ、馬鹿だなぁ」と自分の足首を擦った。

おさよもそんな仙蔵を気遣って「さあ、ご遠慮なさらず」と今一度手を差し出す。

バツの悪い仙蔵は、ここで手を取らなければ、尚更小さい男に見られるとも思い、そっと差し出した。

「面目ない・・・」

「いいえ、お互い様です」

仙蔵は、おさよの温もりを感じながら立ち上がり、照れ隠しに「ああっ、雉まで駕籠から飛び出してらぁ」と散らかった矢も拾う。

 案内していたはずの仙蔵は、情けないと黙々と歩く。

おさよは、背中を丸めて先を歩く仙蔵を不憫に思い、「お見事でしたわ、一回で当てるんですから」と声をかけると、仙蔵はわずかに振り返り「たまたまですよ」と謙遜をした。

それでも、しゃきりとせず口ごもる仙蔵に、おさよは話かける。

「わたし初めて見ました」

「そうでしたか」

仙蔵が振り返ると、おさよが口元を隠してくくっと笑っていた。

「どうしたんですっ」

仙蔵が不機嫌になって立止ると、おさよが「仙蔵さんが急に歩き出したと思ったら、大の字になってあんなに綺麗に飛ぶところ、初めて見ました・・・むささびのように綺麗でしたわ。くくっ」と背を向けた。

「いや、その、綺麗もへちまもないでしょうっ。第一、飛べるとも思っていませんからっ。誰だってあるでしょう、躓く事ぐらい。そんなに馬鹿にしなくてもいいでしょうっ」

「違います、馬鹿になんてしておりません。小さい時、田んぼに落ちて真っ黒になったことがあったんです。その時の思い出も重なって、それで可笑しくなったんです」

仙蔵はむささびが滑空する姿を思い浮べながら、空に目を向けた。

「おいらも追いかけっこしてて、田んぼに落ちた時にあったな・・・」

おさよは「みんな、躓くことなんてあるもんですよ」と歩き出し、お互いの小さい時分の思い出を話しながら仙蔵の家に着いた。

 

 仙蔵は家に戻ってまず最初に、「雉が獲れたよっ」と声をかけた。

その声に家で待っていた圭助とおきつが玄関に顔を覗かせた。

「おおっ、上等なもんだっ」

「ほんと、仙蔵さんはやる時やる人ねっ」

やきもきしていたおきつは喜び、おさよに目を向けた。

「どうだった?」

「うん、楽しかった。仙蔵さん一回で当てたんだからっ。びっくりしちゃった」

圭助は、照れながらもまんざらでない仙蔵に一声かけた。

「やるね~っ、これでおさよちゃんの心も射止めたって訳かぁ?」

その一言で、仙蔵はかーっと顔を赤らめて固まり、どきまぎして視点が定まらず辺りをきょろきょろし始めた。

おさよも、真っ赤になって急に押し黙って、くるりと仙蔵に背を向けてしまった。

 おきつは、「ちょっと」と圭助の袖を引っ張って、座敷の影に連れ込む。

「あんた、ほんと、ばかだよっ。やんなっちゃう」

「痛えなっ、叩くなよ。いいじゃねえか、射止めた様なもんだろう・・・」

「せっかくいい雰囲気になったのに~っ。下衆な冷やかしじゃないの。見て御覧よ、また最初に逆戻りみたいになっちゃったじゃないの、ばかっ」

圭助はおきつに叩かれた肩をぼりぼりと掻きながら、ふて腐れて「悪かったよぉ、でも叩くことはねえじゃねえか」とぼやく。

 仕切り直しと、おきつが土間に突っ立ったままの二人に声をかけた。

「仙蔵さんもおさよちゃんも疲れただろうから上がって、ねっ?」

仙蔵はぎこちない態度で「うん、皆でまた雉鍋やろう・・・だから、おいらはちょっと絞めてくる」と逃げるように裏庭に回った。

 仙蔵は圭助の一言があるまでは、親しくなり雉鍋で持て成し、面目が保てると安堵する方が大きかった。

 そもそも、おさよが家に来る事は、自分を気に入ってくれるかどうかが目的のはず。

それを思い出した仙蔵は、おさよが嫁に来てくれることは申し分ないどころか、それすら信じられない様な幸運に舞い上がる気持ちで口元が緩くなる。

自分を好いてくれると思うだけで、そわそわと落ち着かない。

「おいらに・・・おさよさん?」

仙蔵の体が勝手に小躍りし出して、雉を絞めるどころか縄をくるくると回してみたり、棒を持ち出して太鼓を叩くようにぼんこぼこと木箱を叩き出した。

 

 「何やってんの、祭りの練習?」

その音を聞きつけた圭助が、仙蔵のいる裏庭に回ってきた。

慌てた仙蔵は、にやけ面をさっと引き締め「雉を絞めた後、ぶつ切りが良いのかを考えてた・・・」と誤魔化してみたが、「うっそだ~ぁ、今のはおさよちゃんを思う、心の臓(しんのぞう)、いや、魂の躍動だろう~っ。良かったよ、仙蔵が気に入ってさ。手伝おうか?」とにやにやと圭助が腕を組んでうなづく。

「そんなんじゃないっ。ここはいいから、あっち行って茶でも飲んでろっ」

 圭助を追い払った仙蔵は、バツが悪いだけに急に気分が下がる。

くっそ、からかいやがて・・・。

雉を絞める作業も面倒になるが、おさよの喜んだ顔が思い描き手早くさばく。

 座敷の方からは、おさよとおきつが笑い合う声が聞え、久方ぶりに心底から憂いを忘れる心地がした。

 この前の村の宴では、色々あって早々に一人で帰ってきた事が思い出され、自分で獲ったのにろくすっぽ鍋も食べていない。

今日こそは思う存分食べようと意気込み、畑に行って大根や葱など鍋に入れる材料を引っこ抜いて家に戻る。

 圭助は急いで出迎え、駕籠の野菜に目を向けた。

「手伝うって言ったのに・・・」

「造作もないことだから」

仙蔵はそのまま台所に向かうと、おさよとおきつも付いてきた。

おきつが「仙蔵さん、後の準備はわたし達がやるから、少し休んで。おさよちゃんも仙蔵さんとお話でもしてて」と着物をたすき掛けで縛って、前掛けを付けた。

「わたしもなにか手伝う」

一人で支度をさせられないと、おさよも気遣う。

「それ、訪問着なんだからいいわよ。汚したらいけないでしょ。わたしがやるからあっち行って。今度手伝ってもらうわ」

おきつはおさよの手を引き、座敷の方へ引っ張って行くと納得した。

 仙蔵は井戸水で手を洗い、桶に水を組んで足を洗っていた。

おさよは立ったまま手持ち無沙汰であると両手をもじもじとしながら、「仙蔵さん、おきつさんが休んでいてって言うんですけど、何か手伝うことありますか?」と尋ねる。

「あともう少しすれば、血抜きも終わるから座っていましょう」

仙蔵は囲炉裏の前の座布団に座り、両端が補修されているのが目に留まる。

 ぼ~っと天井を向いて、暇を持て余す圭助に声をかけた。

「おきつさん、座布団を綺麗に縫ってくれたんだ・・・」

 圭助は仙蔵に顔を向けて頷く。

「なんだかんだ言いながらも、ここにあるもの全部直してたよ。あ~っ、それにしても暇だ・・・誰も相手してくれねえし、なにかしゃべれば怒られる・・・そうだ、おさよさんはいつもどんな事しているの?」

座ろうとしないおさよに仙蔵も声をかけた。

「まあ、おきつさんがいいって言うんだから、座ってましょう」

「そうだそうだ、あいつに任せておけば大丈夫だ。いつも団子屋で働いているの?」

圭助は悠長に茶を啜りながら、まるでこの家の主のように仕切り出す。

「ええっ、親戚のおじさんとおばさんの家に住み込んで、一緒にお団子をこしらえて、宿場を通るお客さんの給仕なんてこともしています」

仙蔵はおきつの話に耳を傾けてうなづいていると、圭助が「栗原宿は落ち着いたの?」と再び問い掛ける。

一揆やらで店も開けられませんでしたけど、やっと最近になって・・・」

圭助は大きくうなづいた。

「店なんて開けてたら、悪党やらに団子を全部食われちまうもんなぁ・・・」

「団子食われるだけで済む訳ないだろう。なに頓珍漢な事を言ってんだよ」

仙蔵は呆れておさよに顔を向けると、口元を隠しながら「でも、たまにいるんですよっ。お団子持ったまま逃げる人が」と思い出し笑いを堪える。

「馬鹿だね~っ、そんなのすぐ捕まるだろうに。あははっ」

圭助が惚けた調子で笑っていると、台所にいたおきつの耳にも届いたらしく、「馬鹿笑いしてないで、こっち来てよっ」と呼ぶ声に圭助は渋々腰を上げて、「なんだか今日はぷりぷりしてんだよ、あいつ」と首を捻りながら台所へ行った。

 案の定、圭助が台所へ行くと、おきつが包丁を持って機嫌悪く待ち構えていた。

「なっ、なんだよ~ぉ」

「さっきも言ったじゃない。せっかく打ち解けてきたのに、あんたが一番げらげら笑ってどうすんのよ」

 圭助も余りにも、がみがみ言われるもんだから反論する。

「仙蔵は女子と余り接した事がねえ。言うなれば、ウブって奴だ。おらぁお前と幸せに暮らしている夫婦(めおと)の先輩って訳だ。考えてもみろよ、最初、二人は互いに黙り込んでいただろう。だから、いつも仙蔵には助けてもらっているから話の切欠を作っていたんだっ」

おきつは初めて幸せに暮らしているなんて言われたもんだから、頬を桜色に染めて「ちょっとあんたったら・・・そうだったの、ごめんなさいね」としなを作ってもじもじと包丁を見つめる。

「おらぁ、こんな事ぐらいしか出来んからよ」

圭助は座敷を心配そうに覗くと、仙蔵とおさよの話が弾んでいる様子を見て、おきつに微笑んだ。

「大丈夫そうだ。おらぁ、お前と一緒に手伝う」

「お二人お似合いね」とおきつも座敷を覗き込むと夫婦の顔の距離も縮まる。

「お前が一番だぁ・・・」

圭助が口を尖らせておきつに近づいた。

「仙蔵さんの家だよっ、すぐ調子に乗るんだから・・・」

そうは言いながらも満更ではないおきつは、そっと圭助を押しやった。

 

 しばらくして、仙蔵は雉を台所に持って行った。

圭助が受け取ると「あとは任せておくれ、出来たら持っていく」と妙に張り切っている。

仙蔵はひやかしにも似た圭助の笑みに何か言おうかとも思ったが、「いいからいいから、おさよさんとこへ行ってあげて」と押しやるものだから「じゃあ、任せた」と戻る。

 仙蔵はおさよに「あともう少しでできるから・・・」と腰を下ろす。

改まって座ってみると、また何を話して良いのか分からなくなり外に目を向けた。

「おいらは狩りや釣りが好きだが、おさよさんは何している時が好きなの?」

おさよは仙蔵に目を向けた後、自分の着物に目を向けた。

「繕い物や小物作りなんてことが好きです・・・この着物も古着屋で安く買ったものですけど、こうして自分で直して綺麗に仕上がった時は嬉しいですね。あとは、すてきな端切(はぎ)れなんて見つけると小袋とか作ります」

仙蔵はおさよの着物に顔を近づけ「へえ~っ、新品みたいですね」と感心して腕を組む。

「宜しかったら、これ差し上げます」

おさよは若竹色の巾着を取り出した。

「絹じゃありませんか、せっかく作ったものですから頂けませんよ」

「これも端切れで作ったものです。煙草道具とか小銭入れに使ってください」

おさよは嬉しそうに「どうぞ」と言って仙蔵に渡す。

仙蔵は小銭入れと聞き、そういえば出すのも恥ずかしいぐらいにくたびれていた事を思い出して「有りがたく頂戴します」と受取った。

 圭助が鍋をもって現れ、囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)に吊るす。

「あと一煮立ちすればできあがりだよ」

後から、おきつが茶碗を持って圭助の隣に座った。

鍋がぐつぐつと煮え、蓋が上下にかたかた音を立てると味噌の香りも立ってきた。

仙蔵は大きく鼻で吸い込むと待ちきれなくなって蓋を開けてみる。

「美味そう~っ」

蒸気がもわっと仙蔵の顔を覆う。

「もう、いいんじゃない?」

「もう少し煮ないと・・・」

おきつは、逸る仙蔵を嗜める。

「そうかなぁ、もう食えるよ」

仙蔵はおさよから小袋をもらった喜びもあって、食欲も盛んになる。

「体まで揺らして童みたいですよ」

「おさよさんだって、腹減ったでしょう?」

仙蔵はおきつに「もういいよ、食おうよ」とせっつくと、おきつも鍋の煮え具合を見て、そうですねと人数分の御碗に盛って渡した。

仙蔵は碗を受取ると、ふうふうと息を吹きかけながら、熱くなった雉の肉を口に恐る恐る入れて噛み砕く。

「うーん、美味いっ。ほら、おさよさんも食べてごらんよ」

 おさよも、仙蔵が満面の笑みで勧めるものだから、頂きますと手を合わせて箸を付けた。

汁から啜り、同じくふうふうと肉に細い息をでもって醒ましてから小さい口に入れる。

ほくほくと顔をほころばせ、幼子の様な雰囲気になった。

「ねっ、美味いだろうっ。おきつさんの味付けもしょっぱからず薄からず、丁度いいね」

おきつも食べ、箸を持ったまま手を振って謙遜する。

「雉の良い出汁が美味しくさせるんですよ」

「この前食って、また今日も食えるなんて、仙蔵様々だなぁ」

圭助が仙蔵に手を合わせて「ありがてぇ、なんまんだぶ」とお辞儀をすると、おさよもおきつもお碗を置き、みんな揃って仙蔵に手を合わせた。

「なんまんだぶ、なんまんだぶ・・・」

「よせっ、拝むなっ。おさよさんまでよして下さいっ」

仙蔵は照れ臭くてしょうがなくなり、「皆でからかって・・・」と食べ続けた。

 

 四人で突いた鍋は、食べ終わるまでにそれ程時間はかからなかった。

仙蔵は後ろに手を付いて、「ああっ、もう食えねえ・・・」とおさよに目を向けると、とんとんと胸を叩いて苦しそうにしている。

「大丈夫?」

おさよは恥ずかしそうに「いえ、あんまり美味しかったもので、つい食べ過ぎて苦しくなって・・・」と着物と帯の間に手を挟んで調節する。

「遠慮しないで、落ち着くまで寝たらいいよ。皆で横になろう」

おきつは「そんなずうずうしい事できるわけないでしょ」と首を振る。

仙蔵は圭助を指差す。

「でも、ほら・・・」

ごろりと一人で横たわる圭助を見たおきつは圭助の肩を揺すった。

「ちょっと、あんたが真っ先に寝てどうすんのよ」

「腹一杯になったら眠くなっちゃった・・・」

「なに言ってんのよ、これからおさよちゃんを送っていかなくちゃなんだから寝てもらっちゃ困るわよ」

 仙蔵はちらりとおきつに目を向けた。

「それだったら、おいらが送って行くよ」

「それはやめておいたほうがいいわ。帰り道は猪吉さんちの近くを通らなくちゃいけないから、またなんだかんだ邪魔されても嫌でしょ。だから、わたしたちが送って行くわ・・・」

おきつは真剣な眼差しで仙蔵に頷くと、「あんた、起きてよ」と圭助を引っ張った。

猪吉の顔を思い出した仙蔵は、「ああっ、そうか・・・」と力なくうなづく。

「おさよちゃん、遅くなってもいけないから、そろそろお暇しようか・・・」

 面倒事と寂しさが一度にやってきた仙蔵は、おさよと分かれるのが尚の事辛く不安になる。次の予定を決めておかないと、このまま会えなくなる気がしてきた。

「こっ、今度は年明けにおいらが栗原に行くよ。そして、春になったら桜を見ながら団子を食べようっ。それで、魚でも釣りに行って食べよう」

おさよは畳み掛けるような仙蔵からの申し出に驚いたが、その真剣な顔つきに本心が見え、「はいっ、是非」とぱっと笑みを湛えて喜んだ。

「あんた、行くわよ」

 おきつが立ち上がると、大あくびをする圭助も立ち上がる。

おさよも荷物を纏めて雪駄を履くと、仙蔵も後に続き玄関先に出て見送った。

名残惜しい別れに、するりと手の中から抜け落ちないように「正月の三日か四日に行きますっ」と今一度念を押す。

「はいっ、お待ちしております」

おさよは仙蔵としばし見詰め合うと、丁重に一礼する。

「気をつけて・・・きっと行きますっ」

「仙蔵さんもお達者で・・・」

おさよは、おきつと圭助と共に歩き出す。

仙蔵は見えなくなるまで、おさよの姿を目に焼きつける。来年の楽しみを思うと、この日会って、本当に良かったと空を見上げた。

 

 

                       (11)へ続く。